未来愛犬家
いつか犬を飼ってみたい。
ずっとそんなことを思っているが、まずはペット可物件に住んでいないという現状に阻まれている。
僕は、ある程度意思疎通ができる小動物が好きだ。
理由はたくさんあるが、その一つは相手の願いを叶えてあげるよう手助けすると喜ぶ、その喜ぶ姿を見ると僕も嬉しい、というもの。
コミュニケーションの基礎だ。
小学校の時のウサギ小屋、僕は飼育係だった記憶は曖昧だが、小屋の中に入って掃除を手伝ったことがある。
「掃除をしてくれた」ことに対してウサギから感謝されることはないが、日ごろ顔を見せに来て、小屋の中に入っても危害を加えてこない人間と認識されているのか、ウサギの割には懐いてくれていた。
犬となれば、もっとコミュニケーションが取れて、犬側の要求も分かりやすく、楽しい日々を送れそうな予感がする。
首都圏では保護猫はよく聞くものの、保護犬は聞かない。
そりゃそうだ、野良猫はいるが野良犬は滅多にいないからだ。
僕は犬を飼うとなる時、譲ってくれる相手にお金を払うことに抵抗がある。
「買い物」みたいな感覚に陥るから。
それに、「収入が得られるから犬に子どもを産ませよう」という人間側の思考が進めば、おのずと負担は出産する犬にかかってしまう。
日本の中では何十年も当たり前のようになっていることなのかもしれないが、僕はそれを良い流れだとは思っていない。
やはり、2019年にその辺りの動物愛護管理法が改正されたようだ。
産ませすぎない、犬に負担をかけてはならない、これは将来の愛犬家こと僕の思いでもある。
記事を読んで、繁殖引退犬に興味を抱いた。
ペットショップに支払う10万円は、避妊手術、ワクチン代などで、店側に利益は入らないらしい。
手間賃や手数料を拒絶するほどケチでも無知でもないので、10万円という額が妥当であることも何となく分かる。
(ペットショップ側が保護している期間などによっては安いと感じるかもしれない。)
僕は身体が丈夫ではないから、子犬から引き取って大往生する犬の最期まで看取ることができるか不安だ。
そう考えると、ある程度の年齢の繁殖引退犬は不安の濃度が薄まる。
いつかきっと。