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鏡写し

僕は、「僕が生まれた瞬間、僕が生まれてきたことを歓迎してくれた人」のことを大切にしている。

人は生まれてきた時、同級生も友達も、共通点を持つ仲間内もいない。

実績も自我もコミュニケーション能力も何もないのだから当然のことだ。

生まれてきたことを歓迎してくれる人というのは、ほんの一握り。

人によっては、イチかゼロかの世界の人もいるだろう。

親の友人というものは、親を祝ったり羨んだりするのであって、子どもを歓迎しているわけではないので該当しない。

希少価値、という言葉があるが、世界に何十億と人がいる中でほんの数人しか存在しないとなると、ありがたみを持って接しなきゃ、困っていたら積極的に助けなきゃ、と思っている。

僕は4人の祖父母にとって初孫で、叔父や叔母の結婚相手がまだおらず、当然親戚のお兄ちゃんお姉ちゃんというものもおらず、親と親の兄弟、祖父母と祖父母の兄弟、ギリギリ生きてくれてた曾祖母一人くらいだ。

祖父母にはそれぞれ兄弟が多いこともあり、僕はきっと一般的な人数より多い方で十数人の身内が、僕の誕生を歓迎してくれた。


そう思っていた。

たった一人、母を悪魔にも豹変させた「その人」は、後に親戚から子どもが生まれ、名前を聞いて、電話を切った瞬間に「センスねえな」とか「変な名前」と必ず嘲笑していた。必ずだ。

身内の誕生を歓迎せず、嘲笑する人間ここにあり。

ああ、僕が生まれた時もきっと「小せえな」とか「可愛くねえ」とか「もっと大きく産めなかったのか」とか心無い言葉を掛けたんだろうな、じゃなきゃ母はあんな悪魔みたいにはならない。

僕の誕生を歓迎してくれた人数は、想定よりマイナス1だ。


僕が大人になってから叔父が結婚した相手が、なぜか僕のことを子どものように可愛がってくれる。

まるで生まれた時に歓迎してくれたかのように。

お、プラス1だ。プラス1にしていいよね。


ちなみに僕の名前は、当初は祖父が候補を挙げていたものがあったが、それを無視して「その人」が付けたい名前を付けて役所に出した、と聞いているので、僕の名前だけは無駄に気に入っているはず。

僕は、祖父が付けたかった名前の方が日本人らしくセンスがあって好きだな。

悪役らしく、まあまあ短命で最近この世を去った「その人」のことを僕は陰で「ぎゃっかま」と呼んでいた。

人望もなく寂しい人間はおのずと構ってちゃん気質になるが、構ってもらいたくても人が離れていくから強引に人の襟を掴んで離さずハラスメント行為に及ぶ。

虐待構ってちゃん、の略。

ぎゃっかま、この不気味な呼称をnoteに書くことを恥ずかしく感じるほど、センスがなくダサい名前。

しかし、それで良いんだ。

そんなあだ名を付けられて嘲笑されてしかるべき人間は、ハラスメント行為による不摂生で寿命を縮めて今はもうこの世にいない。

どれだけ変なあだ名を付けようと、それを世界中に発信しようと、もう僕には手も足も暴言も水もBB弾も飛んでこない。

肩の荷が下りて楽になったのを最近強く実感する。

家って命がけでいる場所じゃないのだとしたら、僕の人生はかなり否定されてしまうな。

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