【短編小説】100円で温めて #2
#1 はこちら
◇
2月の始め、職場のメンバーでささやかな打ち上げがあった。
企画していた音楽イベントが成功裏に終わり、今年度予定していた企画のほとんどが無事に終了して一段落したのである。
年末からこの企画に向けて全員がトップギアで仕事をしていたということもあり、「今日は無礼講だーー!」と社長が飲み会をセッティングしてくれた。
今時「無礼講」などという古風な日本語を使う人など、社長のほかにいるだろうか。そんなことを考えながらいつもより30分早く事務所を閉め、近くにあるイタリアン居酒屋でコース料理と美味しいお酒を堪能した。
社長と先輩は既婚者ながらも職場の飲み会には家族の理解も得られているらしく、飲めや歌えやと言わんばかりに豪快に楽しんでいた。
三條さんもお酒の席は嫌いではないらしく、ゆるゆるの笑顔を浮かべながら、幸せそうに白ワインを口に運んでいた。
一方、幹事を任されていた私は、酔いすぎないようカクテルとジンジャーエールを交互に飲んでいた。もともとお酒が強い方ではなかったが、仲間内で賑やかにしてる空気感が好きなこともあり、飲み会の時間はあっという間に過ぎていった。
お開きの時刻になり、予め集金しておいた飲み会代金を支払う。すっかり出来上がってしまった社長と先輩に上着を着せ、忘れ物がないかどうかテーブルの周りを確認する。お店を出た後、千鳥足気味な2人をそれぞれタクシーに乗せ、お疲れ様でしたと声をかけて見送った。
タクシーが行ってしまったあと、私と三條さんが店の前に残された。ここは大通りから1本外れた人通りの少ない路地、遠くから車の行き交う音が聴こえてくるほど静かだ。
三條さんはぐるぐる巻きにしたマフラーに顔をうずめ、先ほどからちらちらと降りだした細かい雪を眺めているようだった。微動だにしない様子を見て内心困ったが、とりあえず声をかけてみる。
「もしかしてすっかり酔ってます?もう1台タクシー呼びましょうか?」
「いや、大丈夫だよ」
三條さんは一向に歩き出す気配がない。
「なんか、こうやって皆でワイワイするの久しぶりだったから楽しくって、余韻に浸ってた」
「あ、その余韻に浸るって感じすごい分かります」
「ほんと?」
「はい、でも雪も降ってきちゃったし、そろそろ帰りましょ?三條さんも駅に向かいますよね?私も電車で帰るのでご一緒します」
「白田さんって僕より年下なのに、すごくしっかりしてて頼もしいねぇ」
ふふふと笑いながら三條さんが歩き出したものの、足元が覚束ない。
昨晩から降っている雪が足元をさらに悪くしている。やっぱりタクシー呼んでおくべきだったかな。
数分歩き、駅まであともう少しというところで、三條さんがぴたりと立ち止まった。
「…どうしました?忘れ物ですか?」
そう声をかけると、「いや、そうじゃなくてね、」と何か言いかけ、上着の内ポケットから何かを取り出した。
なんだろう、名刺入れだろうか。眺めていると、出てきたのは100円玉だった。
「あの、温めてもらえませんか」
唐突な一言。
未だに三條さんの生態がよく分からない私は一瞬フリーズした。
えっと、これってどういう意味?人に対して温めるとは?それってコンビニでお弁当をレンチンしてほしい時に言う言葉では…?
ふんわりとほほ笑んだままこちらに視線を向ける彼を前に、その行動の意味を悶々と考える。
その時、視界の隅に自販機が入った。もしや、というか無理矢理考えれば、温めてとは何か温かいものを買ってくれという意味にも取れる?そうだとしたら何故このタイミング?言い方が回りくどくない?というか自分で買ったらいいのでは…?
とりあえずこのまま待っていても埒が明かなそうなので、差し出された硬貨を手に取る。自販機の前に移動しようとしたとき、突然左手を引かれた。
気づけば三條さんの腕の中。そのまま柔らかく抱きしめられ、身動きがとれなくなった。
「あああの!三條さん!どうしちゃったんですか!」
混乱した頭でどうにか言葉を絞り出す。これ、どういう状況?もしかして結構やばいやつ?まさか温厚な三條さんに限ってそんなことあるのか…?
動きを悟られないようにしながら、コートの右ポケットに入っているスマホを手に取る。こういう時って110番だっけ?こんなシリアスな場面に遭遇する人生なんて夢にも思わなかった。
色々と身構えたとき、頭の上から声が聞こえた。
「ふふふ、温かいねぇ、ありがとう」
そう言って、するりと手を離した。
三條さんは相変わらずゆるい笑顔を浮かべたまま、突然ごめんね、と片手を顔の前に持ってきてお詫びのポーズをした。
「じゃ、行こっか」と私に声をかけ、ゆっくりと歩き出す三條さん。
目の前で起こった出来事に頭がついていかない。スマホを握りしめたまま、ひとまずその後を追った。
◇
あの日の出来事から数日経った。
その後三條さんと職場で顔を合わせても何か言われるでもなく、何かされるでもなく、いつも通りの姿に私は少し困惑した。
結局あの行動の意味は何だったのか。悪く言えば、セクハラということになるのだろうか。
だが、あの時の三條さんからは悪意も下心も感じ得なかった。
ただ、とにかく寒そうだった。
凍える寒さの中、人肌に触れて暖を取りたかったとでも言うのだろうか、まさか子供じゃあるまいし…でも彼ならあり得るのかもしれない。そう思うと、社長達に報告する気も起きなかった。
◇
#3に続きます。
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