2−1 鮮烈なデビュー曲 衝撃を与えた 「サイレントマジョリティー」
この曲は欅坂46のデビューシングルとして2016年4月6日に発売された。タイトルでもあり、歌詞中にも出てくる「サイレントマジョリティー」とは「物言わぬ多数派」を意味しており、仮タイトルとして最初につけられた「僕らの革命」から大きく変わり、発表された。
前奏で印象的な映像は3箇所ある。まず1つ目はグループ名が表示された後、1期生20名(非選抜メンバーの長濱ねるを除く)の顔写真が2小節の間に一気に表示される。グループ名を覚えてもらうこと、全員の顔を見てもらうことをデビューシングルの前奏で行うことで自己紹介を兼ねているのではないか。また、その写真は笑っていない。曲調も短調を使用していることから、冒頭で欅坂46のキャッチフレーズである「笑わないアイドル」をより強く印象付けている。
2つ目は顔写真の直後にある、本楽曲リリース活動時に着用していた緑色の制服衣装のカットである。全員左手はスカートの裾を90度持ち上げ広げ、また、右手は開き指を揃えた状態で人差し指だけ上げ、三角形のような形をしている。この右手の形はメンバーやファンの間で「サイマジョポーズ」と称され、のちの楽曲ほぼ全ての振付に取り入れられている。
3つ目は歌詞に入る直前の1拍で、センターを務める平手を中心に対の形を作っている。そして平手だけが前を向き他と違う動きをしている。たった1拍だが直前からの切り替わりもあるため、とても印象的である。
最初の歌詞を見てみると、主人公(この段階で一人称は不明)が側から俯瞰しその様子をただ言葉に出しているような内容になっている。
ここで出てくる「人が溢れた交差点」はこのMusicVideo(以降MVと示す)の主な撮影地が渋谷であることからスクランブル交差点を連想することができる。緑の制服衣装を着用しているダンスシーンで使われている工事現場は、現在、「渋谷ストリーム」という複合施設として多くの人が利用している。そして、「似たような服を着て 似たような表情で」の似たような服は学生服やスーツといった多くの人が着ている服ではないかと考える。また、この4小節間は全員が同じ方向を向いて列ごとに同じ動きを行い、全員が鼓動を打っているようなダンスをしている。
次の場面では、最初に見ていた景色に対して主人公の疑問や感情が読み取れる。「群れの中に紛れるように 歩いてる(疑わずに)」では、大人や社会といったものから教えられた通りに、自ら考えることなく呆然と周りと合わせている様子を指している。そして、「誰かと違うことに 何をためらうのだろう」で初めて主人公の感情が出てきたのではないかと考える。このフレーズの最期に「?」をつけてみると、主人公がもつ疑問になる。似たような服を着て似たような表情で、群れの中に紛れるように、他人と同じように生きていく周りに対して「なぜそれがいけないことなのか?」と疑問を持ちそれを提示しているのではないか。また、振り付けでは「何をためらう」の4拍で顔を覆うようにして拍に合わせて揺れている。ここは葉っぱが風で揺れている様子を表している。
サビ前ではこれまで感じていた疑問が違和感に変わる。ここでいう「先行く人」は、自分たちに「ルールを説く」大人を示すのではないか。そして、その大人たちは「ルールを説くけど その目は死んでいる」とあるように、「けど」と逆接の接続詞が入っている。自分たちにルールを教えるけど、その人たちは個を押し殺している様子を、「けど」を使い主人公の感じた違和感をより強調させているように感じる。また、ここの場面ではフォーメーションに基づき隊列を組んで軍隊が行進しているような振り付けが引用的である。「列を乱すな」にかけて隊列を組み、歌詞通りに乱さずに行進している様子がわかる。
サビに移る前に、3+4の7拍で長調へ転調している。また、最初の3拍はシンコペーション、後半の4拍では最初のシンコペーションを利用しさらに発展・完結させている。転調と独特のリズムで聞き手にこれから何が起きるのか期待させるような、不思議な7拍ができている。
そしてサビでは主人公が考えを主張し呼びかけているような内容になっている。「君は君らしく生きて行く自由があるんだ 大人たちに支配されるな」から主人公が呼びかけている相手が「君」であること、敵対しているのが「大人たち(=先行く人)」であること、そして、主人公と「君」は成人していないことがわかる。また、この4小節では平手が隊列の真ん中を1人で堂々と歩き前へ出てくる。この振り付けはモーセが海を割り、紅海を渡った様子とウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神』の絵、モーセの十戒」をイメージし表している。「僕らはなんのために生まれたのか」で、主人公を含む複数人を表す言葉に「僕ら」が使われていることから、主人公が「僕」であることがわかる。「夢を見ることは時には孤独にもなるよ 誰もいない道を進むんだ」とあるが、前に出てきた「人が溢れた交差点」や「群れの中」に紛れ「ルール」通りに生きるのではなく、「君は君らしく生きて」いいから、群れたりせず人と同じ道を歩むのではなく、誰もいない道を進むんだ。ちがう道を進んでいいんだと背中を押してくれているような歌詞である。Cの最後にある「この世界は群れていても始まらない Yesでいいのか? サイレントマジョリティー」では同世代である「君」に対して再び読みかけている。大人が言うこと全てに「Yes」と答えて本当にいいのか?それで「君は君らしく生きる」ことができるのか?と訴えかけられているようだ。そして、Cの後半「夢を見ることは〜サイレントマジョリティー」の振り付けはダンス経験が少なかった当時のメンバーでも簡単に取り組めるよう、腕や手を伸ばす動作を取り入れ、遠心力で手の曲げ方を気にせずに思いっきり振り簡単だがダイナミックに見えるようなダンスになっている。そして、最後の決めポーズでは腕の方向や高さを変え、シンプルな動きを複雑に見せている。
最初と同じメロディに戻った2番では「どこかの国の大統領が 言っていた(曲解して) 声を上げない者たちは 賛成していると…」と倒置法を用いているのがわかる。「声を上げない者たちは賛成していると、どこかの大統領が言っていた」と言い換えることができる。声を上げない者=サイレントマジョリティと捉えられ、この詩の元ではないかと言われているのは、アメリカのニクソン大統領が1969年に行った演説である。当時、ベトナム戦争に反対する一部の学生が反発運動を繰り返していたことに対し、ニクソンは「そういった運動や声高な発言をしない大多数のアメリカ国民はベトナム戦争に反対していない」と言う意味でサイレントマジョリティーという言葉を使い、声高な政府批判は少数派のすることであり、意思表示しない大多数派は同意しているのだという趣旨の演説を行った。これがサイレントマジョリティーの意味の原型である。曲名にも使用されている「サイレントマジョリティー」をより具体的に表しているのがこの部分ではないか。そして「曲解」と出てくるが、それはニクソンの意思表示しない大多数派は同意しているという発言に対するものではないかと考えられる。また、ここの振り付けは歌詞と重なっており平手が指揮を執り、その動きに全員が合わせて軍隊や操り人形のように動いている。MVではカメラアングルが変わることもあるが、歌詞との関連性を意識しているのか、他のカットは入らず、制服衣装で全員が踊っている映像が続いている。
2番サビ前の「選べることが大事なんだ 人に任せるな」では前に続き操り人形のような、行進しているような不思議な動きをしている。「行動しなければ Noと伝わらない」で出てくる制服衣装のメンバーが渦を巻くように円を描きながら走っている振り付けが印象的だ。Noと伝えるために葛藤しながらも行動に移そうとしている心情を表しているのではないか。そして、このフレーズの最後にある3+4拍のシンコペーション系+転調部分では、自転車で勢いよく走って行く人、レッスン場のようなところで何かを振り払うようにしている人が登場する。冒頭から登場していた、制服衣装以外の私服衣装で出てくるメンバーのカットが最初よりも多くなってくる。それらは、今回のフォーメーションでフロント(1列目)を務めるメンバーの5人(渡辺梨加、鈴本美愉、平手友梨奈、今泉佑唯、小林由依)で行っている。今回登場した自転車に乗っているのは小林由依、レッスン場で踊っているのは平手友梨奈だ。制服衣装だけではなく、私服衣装のシーンを入れることで、彼女たち=(歌詞中の主人公である)僕の素顔や普段の顔が想像できる。
2番サビの最初、「君は君らしくやりたいことをやるだけさ One of themに成り下がるな」の部分では、この曲で唯一の英語表記である「One of them」という言葉が出てくる。この意味は「その中の一人、大勢の中の一人」であり、群れに紛れるのではなく君は君らしく生きて行く自由があるとCで述べていた内容をより強く言った印象が持てる。そして、このフレーズのMV前半はB2の最後、平手のソロカットが続いている。その後は緑の制服衣装のカットへ切り替わる。この4小節間は右手で左胸(心臓)を掴み鼓動を表すような動きをしている。次の「ここにいる人の数だけ道はある 自分の夢の方に歩けばいい」はCにある「君は君らしく生きて行く自由があるんだ」「誰もいない道を進むんだ」を言い換えているのではないか。この4小節間のMVのカットは、2拍目・4拍目でそれぞれ左右にステップを踏みながら両腕を頭上で交差し前へ打つような動きをしている。そして、制服衣装、平手ソロ、そして誰かわからないが学生服のスカートを身につけた女子の足元のカットで主に構成されている。足元しかわからない、女子高生らしき姿が短い時間入ることで、身近な存在を感じさせることができるのではないか。(のちに発売される1st Album「真っ白なものは汚したくなる」Type-B収録「THE MAKING OF サイレントマジョリティー」でメンバーの尾関梨香の足元だと判明)次にある、「見栄やプライドの鎖に繋がれたような つまらない大人は置いて行け」の「つまらない大人」とはこれまでに出てきた「先行く人」「ルールを説くけど その目は死んでいる」「支配」してくる大人と同じ存在だと考える。そして、ここの振り付けはCの該当部分と変わりはないが、印象に残るカットが2つ入っている。直前でもあったメンバー以外の女子高生らしき人物の足元だ。1つ目は液晶画面で作られた柱の前で2人踊っている。これは渋谷にある西武渋谷店で撮影された。(これものちに発売される1st Album「真っ白なものは汚したくなる」Type-B収録「THE MAKING OF サイレントマジョリティー」でメンバーの尾関梨香・土生瑞穂の足元だと判明)2つ目はJR山手線渋谷駅ホームで、学生服を見にまとった女子高生らしき3人が踊っているカットだ。(山手線渋谷駅品川行きホームにて、菅井友香・志田愛佳・守屋茜の3人で撮影されたと菅井友香の公式ブログ(2016.3.17「サイレントマジョリティー」)で記述されている)メンバーか誰かもわからない、顔が写っていない足元や後ろ姿で学生服を身にまとって踊っているこの3つのシーンはその存在がわからないからこそ「アイドル」としてではなく「街で見かける女子高生」として捉える事ができ、より歌詞の内容を身近に感じさせる、共感してもらう1つの役割を担っているのではないか。そしてC2の最後のフレーズ、「さあ未来は君たちのためにある No!と言いなよ! サイレントマジョリティー」では感動詞である「さあ」からはじます。その後に続く「未来は君たちのためにある」「No!と言いなよ!」と「君」に対して行動を起こすように促している。MV最後のカットでは平手以外はC同様の動きだが、平手だけがカメラに近づき「No!と言いなよ!」と促しているように見える。センター=この曲の象徴=主人公「僕」を表現する、また、「君」に対して訴えかけている場面であることから平手=主人公「僕」となりカメラに向かって言ったのだろうか。
間奏を挟んで、「誰かの後 ついて行けば 傷つかないけど」と一度大人が主張することを「僕」が肯定している。そして、振り付けでは全員が横一列になり、前の人の肩に手を置き前の人について行くような動きをしている。そして、「その群れが 総意だと ひとまとめにされる」と一度肯定したものの、今までの歌詞で出てきた「僕」の考えを改めて主張している。振り付けでは頭を抱え左右にふりウェーブのように下手から順に腕を回し下げるのと同時にしゃがみ込んでいく。大人が言うことも理解はできるが、やはり、誰かが声を上げないと行けないのではないか?と葛藤しているように見える。
そして、ラスサビは1番サビと同じ歌詞だが前半の「君は君らしく〜支配されるな」「初めから〜生まれたのか?」の2つのフレーズで後半に向けて段階的に伴奏の厚みやビートの刻みの大きさを変えている。「君は君らしく生きて行く自由があるんだ」の8拍間の最初の2拍の間で直前から始まっている腕と体勢のウェーブを終わらせ、3拍目で平手が拳を突き上げ、そこから一人で立ち上がり前へ出てくる。次の「大人たちに支配されるな」では前に出てきつつ、5拍目で両手を広げて8拍目で広げた腕を曲げ拳を作り、その合図とともに他のしゃがんでいたメンバーが右手で左胸の前でサイマジョポーズを作りながら立ち上がる。そして、「初めから そうあきめてしまったら 僕らは何のために生まれたのか?」で全員が動きだし後に続く振り付けのフォーメーションへと拍に合わせて歩き移動する。13拍目には立ち位置に全員が着くと同時に、腕を振り払うような動きをしている。ここから先は1番の該当部分と変わらない振り付けである。MVのカットで気になったのは「誰もいない」のところで緑の制服衣装を着て踊っているメンバーの首下〜上半身のみのカットだ。今まであった顔がわからないカットはどれも学生服を身にまとっていたが、ここで初めて制服衣装で顔が写っていないカットが意図的に入れられている。顔が写っていないことによって、私たち聞き手も「僕」になれると訴えかけているのではないかと考える。そして、最後の「サイレントマジョリティー」の後、後奏へと繋げる2小節の最後の8拍目。映像が移り変わるギリギリのところだが、よく見るとここでも一度全員で、左胸の前で、右手でサイマジョポーズをしている。
後奏では全員が坂道の途中の横断歩道に1列に並んでいるカットと工事現場でのダンスカットが交互に3回繰り返されている。全員の顔をここでもう一度見てもらい認識してもらうことと、後奏でも続く左右にステップを踏みながらダイナミックに腕を広げ交差させたり、左胸を掴んで揺れるダンスを見てもらうことを交互にしている。そして、3回目の並んでいるカットの最後はフロント5人のアップで終わり、ダンスカットへと移り変わる。ダンスカットは、まず、フォーメーションの状態で最後のポーズを行っている全員のカットが表示される。1列目は膝立ち、2列目は中腰、3列目は立っており、全員が見えるようになっている。また。右手は人差し指と中指2本をつけそれ以外は握るようにし、右方向に腕を伸ばしている。そして左腕は曲げ、左手は左胸の前でサイマジョポーズをしている。次のこの曲最後のカットでは、センターの平手のアップで終わっている。1曲通して笑わなかった彼女が少し微笑んでいるようにも見える。「僕」が自分らしく生きていいと主張できた喜びなのだろうか。
この曲では、学生と思われる主人公「僕」が同世代「君」に対して、敵対視する「大人」の言う通りに全てする必要はない。自分を押し殺すことなく、自分らしく生きる権利があり、他人と同調する必要はないと訴えかけている。「サイレントマジョリティー」=「物言わぬ多数派」にはならず、思ったことは自分で発信して行くんだと主張している。大人に言われた通りすることが良い子とされ育てられるが、だからと言って自分を押し殺す必要はあるのか?そうやって来て、自分たちに同じように教える大人たちは生き生きとはしておらず、「その目は死んでいる」ように僕には見える。僕はそうはなりたくない。誰もいない道を、自分の夢の方に、行きたい道を歩くんだと主張しながらも宣言しているかのように聞こえる曲だ。また、要所で顔が見えない学生服を着た女子高生や制服衣装のメンバーが出てくることで、その人物を自分に置き換え「僕」=「自分」であると曲に移入することがしやすくなる。普段、思っていてもなかなか自分の考えを言うことができない人は多いのではないかと思う。そのような人に対し、自分らしくいて良いんだと訴えるこの曲は勇気を与えることができるのかもしれない。
【フォーメーション一覧】
(1列目 5名、2列目 6名、3列目 9名 計20名)
※長濱ねる(当時:けやき坂46(ひらがなけやき))は途中加入のため非選抜。本楽曲のカップリング曲でデビューする。
【参考資料】
https://www.keyakizaka46.com/s/k46o/diary/detail/2148
https://realsound.jp/2016/11/post-10234.html
https://realsound.jp/2017/10/post-116777.html
https://realsound.jp/2016/04/post-7133.html
https://realsound.jp/2016/04/post-7133_2.html
https://youtu.be/DeGkiItB9d8