他人は自分主演の映画の脇役。
私は、他人に興味がありません。
54週くらい、いや、67周くらい回って興味がなくなりました。
観察という点においては材料にさせていただきますが、自分のことを理解されることすらカンニング竹山かなってくらい腹立たしい時があります。
お前にわかってたまるものか、と。
頑固オヤジみたいな時期もありました。現在進行形ですが。
もちろん理解されたいです。共感してもらいたいです。
見たくないものを見ないふりしてきたけど、見えたものがどんなに腐っていても現実なら見ていこうと思いました。
自分の居場所は自分で作ればいい、の一心でやっています。
関われば関わるほど、知れば知るほど嘘や偽物が見え隠れすることにうんざりし、人付き合いについて92パーセントくらい放棄しました。当たり前のことですが時間の無駄だからです。
自分の考えが合う人を選んで答え合わせをする、くらいのイメージです。それ以外の無駄な批判や、知りもしないで傷つく言葉を言ったことすら忘れている人が多いと気づいたとき、もはや、何が正しくてどうしたいかは自分で決めようと思いました。
自分を貶めたり、寝返ったり、裏切ったり、振り回したりするような負のエネルギーの人とは早めに離れるようにします。自分の何がいけないのか悩む必要もないし、どちらかというと問題はこちらではなく相手にあるし、その輪が大きくなって孤独になっても好きに言わせたらいいやって思うようになりました。
大人になって見ないふりをするべきものと、見るべきものがはっきりしてきた気がします。わからないことの方が楽だったり、わかった方が楽だったりすることも改めて感じます。
お世辞や思ってもいないことを言わなくても良くなると思えば、人付き合いの断捨離は本当にすばらしい!!と思います。
がむしゃらになってやっているなかで、時々全部投げ出してしまいたいときは、一旦投げ出します。
何も知りもしないのに人のことをバカにしてくる人がいますが、そういう人はだいたい元々自分に自信がない自尊心の低い人なので、いい病院でも紹介してあげて、相手にしないのが得策です。
まだチクチクと大したことのない誰かに何かされて胸がズキズキするというのは、完全に自分の世界に入れていない証拠なのだと思います。メーターを振り切るってすごくエネルギーがいることですが、その先は天国です。
静かな情熱を持ちながら、いい意味で全部くだらないことと思えば何されるのも怖くない気がします。
何もない賢くもない人間の方が人に好かれるだけで終わります。たとえ打算的でも見ないふりできます。なぜなら、ずっと変わらず変化もせず頭も使わず成長しないので安心なんだと思います。
追い越されることもない、追い越す必要もない。ある意味羨ましいけどバカにされているのと一緒です。
どれだけ与えられても、自分にも何ができるか考えないと、いつか対抗できなくなる物事にぶつかります。頭を使うことは自分を守る手段です。
周りにやけに敵が多かったり、馴染めなかったり何もしないのに標的にされるような人は自分は変人変態だと割り切ってしまえば楽です。
そう、私は変態です。
そんな変人が違う変な人と話しても合うはずがないし、そもそも交われないのです。
誰も見せてくれないなら自分の目で見ればいい。
見たいものだけを見て欲しいものを自分で手に入れればいい。
他人はあくまでも、どんな人でも自分の映画の脇役です。