心配性という名の保険
私は、ある面では臆病なところもあり心配性で、神経質で過敏なところがあります。
根は真面目ですし、全てにおいて心配することの何がいけないんだと思います。
例えば、大胆を履き違えて周りに迷惑をかけるくらいなら、自分の責任が取れる範囲まで持っていってからやって欲しいのが正直なところです。
何事にも慎重にいくことは、時に自分の身を守ることにもなり、いろんな想定をしているということで悪いことではないと思います。
エネルギー使いますけど。
でも、ちょうどよく、ができない0か100の人間は、私に限らず反対の時に、
一人責任丸かぶりで、
え!!ここで行っちゃうの!?あんた、武士!?
みたいな部分もあって、破天荒なんだか真面目なんだかよくわからない人認定されたりする傾向がある気がします。
心配性なのは、予想ができたら、想定ができたら対処できるはずだという思い込みで安心感を作る保険のようなものだなと思います。
事件というのは思ってもいない時期、タイミングでやってきては、常に想像をはるかに超えてしまっているようなことばかり。
取り越し苦労は無駄だってことですね。
人は見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じません。
いちいち感じていたら心が持たないし、
でも何も感じなくなったら、自分じゃなくなるんじゃないか、という、
これまたなんとも言えない憎き理想と現実の間での葛藤もあります。
そして、予測できなかったことを乗り越えた先に、想定していた未来があるということなのでしょう。
まるでイケメンに振り回される女子の気持ちになった気分です。