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ピアノを習っていた

先日ピアノの演奏会へ行ってきた。
3歳からピアノを始め、音楽系の大学へ行き、様々な場所で演奏会をしている、歳は私と同じか、少し若いであろう女性の演奏会。
地元に戻ってきて、ピアノの先生になるそうで、凱旋公演のような感じ。
久々にピアノを聴いて、思い出した。
私もピアノを習っていた。

私の父は転勤族だったので、
どうせ3年位経てば引越しで、しかもどんなど田舎に行くかわからない状態。
引越した先でそれまでやっていた習い事の先生がいるかどうかもわからない。
そんな感じだったので、
おそらく子供がやりたいんだったら通わせてみて、続けたいならどうするかその時考えよう〜、辞めたいなら辞めればいいし〜、位の温度で習い事をさせてくれていたのだと思う。
そして私はたしか小学校2年生からピアノを始めた。
本物のピアノを持って引越しをするのは大変なので、電子ピアノを買ってもらった。
電子ピアノだけど、鍵盤は木製というところが嬉しいポイントだった。

最初の先生は大手音楽教室の個人レッスンで教えてくれる先生。
若くて可愛らしくて、今考えるとまだ学生だったのでは?という感じ。
初めての発表会は、この先生と乗り越えた。
大好きな曲だったので、いまでも覚えてる。
もともと大人に懐くことが苦手だった私は、その後たった2年弱で引っ越すことになってしまったのもあって、先生と仲良くなれた思い出はあまりない。

次の先生は、小学校3年生の秋から6年生の初夏まで。
近所の個人宅で教えている先生だった。
古ーい家だった。
土間のような、土足で入る長ーい廊下を進んで、ピアノのお部屋まで行くのだけど、
ある日突然「もしかしたらもっと手前から靴を脱いで入るのかもしれない」とか、「手前のお部屋はしまっているけれど先生のお父さんお母さんがいるようだ、挨拶するべき…?」とか、
余計なことを気にするようになってしまい、
それを聞けるほど大人と仲良く会話ができなかった私は、静かに存在感を消しながら出入りするようになった。
この頃合唱の伴奏をするようになった。
どの学校にも、抜群にピアノがうまい子って学年に1人位いると思うんだけど、
ちょうどその学校はいなかったのだ。
ラッキー伴奏者って感じだ。
先生との思い出は、これまたあまりない。

そしてまた引越し。
私は中学校3年生の春にピアノを辞めたので、6年生の初夏から中学校3年生の春までの、私のピアノの最後の先生。
個人宅で教えている、ご主人に先立たれた初老の先生。
家がカッコイイ。蔦が絡まる古い外国の家のよう。グランドピアノが2台並んだ部屋でのレッスン。なんだかイイ匂いがするお家だった。
最初に私のレベルを見てくれて、いきなりステップアップした。
今までのthe練習曲!というものから、「曲」というものに変わり、ものすごく楽しくなったのを覚えている。
今までは、練習してきたものを教室で披露して「ここはもっと強く」とか「ここは歌うように弾いて」とか言われたことを、その場でなんとなく直して丸をつけてもらい次の曲!という流れだった。
この先生は隣のグランドピアノで、一緒に弾いたり、勝手に連弾のように弾いたり、とにかく一緒に曲を作り上げる感じで楽しかった。

しかし私は中学生。
徐々にバスケ部の部活の疲れから、まったく練習をしなくなる…。
私の唯一の反抗期の中学2年生もこの時期。
「いい加減に練習しなさい!!次の曲いきたいでしょー!!」と先生はガミガミ叱ってくれた。
いきなりレッスンではなく、「とりあえずお茶にしましょうか」と紅茶をいれてくれたり、先生の犬を散歩させてくれたり…。
大人に懐くことができなかった私も、先生とは打ち解けることができた。

そんな中、6歳離れた小学校低学年の弟も、
突如「僕もピアノにいきたい」と言い出したのだ。
本当に突然のことだった。
まったく習い事もしていなかった弟が、いきなり希望申告したピアノ教室…。
もちろん同じ先生にお世話になることにした。

うちの弟は、今でこそ信じられないほど真面目な優しい青年に育っているけれど、当時は本当にクソガキだった。
クソガキは誰の言うことも聞かない。
学校での劇の発表会では、1人だけふざけ始めてセリフもぐちゃぐちゃ。
クラスに1人位いるとんでもない男子が、私の弟かよ…!!と思うほどだった。
そんなクソガキ相手にピアノの先生はどんなレッスンを繰り広げるのか…。
私と母は本当にハラハラドキドキだった。
弟は、私と正反対の人懐っこさを武器に先生を完璧に味方につけていた。
どの生徒も踏み入れたことのない先生の生活スペースに入ったり、
先生と一緒にシュガートーストを食べたという話をしていたり(なぜ)、
レッスンの時間ではないのに友達の家に行くような感覚で先生の家の庭に出没していたり(迷惑)、
ピアノを習いに行っていたのか、遊びに行っていたのか、もはやわからない。
ただ先生は可愛い可愛いと言ってくれていた。

そんな先生のもとで、
最初で最後の姉弟一緒の発表会。
前述の通り、ほんっとに真面目に練習していなかった私は、申し訳ないことに発表会なのに頭が真っ白になり、なんと途中で止まった…!
そのとき舞台袖から先生が「ソ…ソ…」と次の音の1つを囁いてくれたこと、私は絶対に忘れない。
発表会が終わったあと即笑い話となった。
そして弟。
おもちゃの兵隊さんという可愛らしい曲だった。
流石のクソガキもあがってしまったのか、
なんと1回リピートの曲を、続けて3周弾いたのだ…!
短い曲のはずが、めちゃくちゃ長い曲に仕上がっていた。
姉弟揃ってスミマセンという感じだったが、
弟はおそらく未だに間違えたとは思っていないだろう。

そのあと私はまた引越しをきっかけに、
受験生でもあったので新たな先生を探すこともなく、
弟についても、弟のようなクソガキを受け入れてくれる先生を探すのが難しいと感じたのか、
弟自身も先生から離れたらピアノに行きたいと言うこともなくなり、
私たちのピアノ劇場は静かに幕をおろし
たのだ。

そんなに凄いレベルまで登り詰めたわけでもないので、
今大人になってピアノに関して思い出すのは、
最後の先生との楽しい思い出だけ。
あの蔦の絡まる外国のようなお家で、どうか元気でいてほしい。

#日記 #エッセイ #習い事 #弟の話

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