公園遊びができる気温
昨年はいつだ?一昨年はいつだ?
スマホのアルバムで、いまと同じぐらいの時期の写真を数年遡り、半袖姿の子どもが登場しなくなるのが何月かを調べていた。
この一週間で二度公園遊びに誘ってもらい、放課後に遊んで帰ってきた。うちの子どもも、周りの子どもも、半袖ハーパン。よく考えると10月。温暖化進みすぎでは?
私が子どもの頃、10月の初めに秋の転勤があった。寒くて、引越し作業が終わる直前までストーブをつけていた記憶がある。同じ県内の引越しだったが、県庁所在地の街から、マックもコンビニもない小さな町に転校すると、クラスの数人が半袖短パンを着ていた。田舎の子どもって元気だなぁと思ったのを思い出す。
引越してすぐに仲良くしてくれた女の子が「ハロウィンをやろう!」「夜に仮装をしてお菓子をもらうんだよ!」と誘ってくれた。
こんな田舎町なのに、(ディズニーでもさほど「ハロウィン」と騒いでないあの時代に)そんな欧米の文化を取り入れてるの?と私も私の母も大層驚いた。
その夜も結構寒かった。暗かった。ハロウィンの夜の不気味な雰囲気で暗かった、ということにしたいが、365日毎日いつだってその町の夜は暗かった。田舎町だから。(ジャスコができたあとは、町じゅうの虫すべてがジャスコの灯りに集まったのではないか、と思っていた。)
たしか私の母が未就園児の弟を連れて付き添ってくれて、家を出発し、誘ってくれた女の子の家へ向かった。暗くて寒い夜に、付き添ってくれた母、ありがとう。
自分がどんな格好をしたのかは全く思い出せないが、その子は三角の魔女の帽子をかぶっていた記憶が……。
そこからは朧げな記憶だが、二階のその子の家から一階のその子のおばあちゃんの家へ行き、お菓子をもらった。
普通に「お菓子ちょうだい」と言って、普通におばあちゃんから「お菓子?どうぞ」と言われ、おせんべいか何か普通のお菓子をもらったはず。三角の魔女の帽子をかぶっているっていうのに、普通におせんべい。
そしてさらに驚くべきことに、イベントはそれで終了した。
町ぐるみでハロウィンを楽しむのかと、よそ者の我々が早とちりしただけで、「ハロウィンをやろう!」と正しい言い回しかどうかもあやしいそのイベントを企画、実施したのはその女の子ひとりだったようだ。
2年半住んだその町を離れて、約30年経ったいまでも、不思議なおもしろ体験として我が家で何度も語り継がれている。楽しい思い出をありがとう。
そう。私の子どもの頃の感覚では、9月後半から寒い、10月は結構寒い、11月から3月は外で何もできない位寒い、だった。
岩手県の内陸の冬は、長くて寒い。
だがここは東海地方、愛知県。そして温暖化。半袖ハーパンで遊んでいたうちの子どもは、なぜか上半身裸で水遊びをしていた。
いくら寒くないといっても、周りの友だちは服を着ていた。勝手に脱ぎ、頭から水をかぶったのはうちの子どもだけだった。
ただうちの子を含め、どの家の子どもも皆、夜眠りにつくまで「楽しかった」「また遊びたい」と言っていたらしい。
真夏ではないので、終盤は少し寒かったかもしれない。でも全身で季節を感じて、楽しい思い出を作ってくれよ、息子たち。私のあの不思議なハロウィンの夜のように。
ぱくえみさんのお題「最近読んだ本」
最近はじぇっきゃさんの「200㌔捨てた日」を読んだ。読んだだけでスッキリした気持ちになれる痛快ゴミ捨て本。
この本を読んだ日から、これも捨てたい、あれも捨てたい、と考える日々である。その気持ちが生きている間に実行したい。でもその気持ちが消えそうになったら、また読めば「私も捨てたい」気持ちに薪をくべられそう。
断捨離って意思決定の訓練だと思うから、それを一度でもやれた人間は強い。最強だ。
もっと本読みたい。この世の中に私が好きな世界が描かれている本が沢山存在しているはずなのに、もしかしたら出会わないまま死ぬのかと思うと怖い。
次のお題は、本繋がりで「図書館の思い出」