東京 日記
とりとめもなくなったが備忘録として。
久しぶりに新宿に行く用事があった。東口が綺麗になっていた。ミスドは混んでいて入店できなかった。
日本各地を転々としているがやはり都会といえば自分が1番に思い浮かぶのは東京で、東京の下町は幼少期を過ごした場所のひとつ。行けば必ず懐かしい気分になるし東京の夕暮れが一番好きだ。ものすごく好きだし思い出がたくさんある場所なので歩いていると平衡感覚がおかしくなる気がする。幸せだった時代を思い返すと同時に、あの頃から不況が始まっていたのだなと思う。
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年々人混みが苦手になっている。昔は全然平気だったのに。都心はとにかく人が多い。人気店は買い物客の列が連なり入店規制をしていた。初めて見る光景だったが皆当たり前のように並んでいる。昼飯を食べに入った料理店のスタッフはほとんどが外国人で、メイドインジャパンのブランド店舗で買い物をしている客もほぼ外国人だった。久しぶりに訪ねるとその土地の雰囲気が変化したことがわかる。変わっていない風景や匂いもあって、それを見つけると少しホッとする。ずっとある和菓子屋や、本屋とかもそう。
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日常。からかい気味に仕事の遅さを指摘された。ただ、その人自身がミスをすると自分から報告せず、ひどく落ち込むことを知っている。からかうということは他者より優位に立っていると安心するのだろう。
差。
私たちの周りには目を凝らすと差がいたるところにあって、一喜一憂するようにできている。あの人よりはマシ、あの家よりはマシ、あの地域よりはマシ。あいつより優れている、劣っている。
自己の安心を得るため、優位性を保持するために私たちは僅かな差も見逃さない。そうやって他者を比較したり蹴落とすシステムは学校で既に成立していて叩き込まれている。不登校は健全な反応だと思う。素直な良い子の方が餌食になりやすい。勝っても、負けても、どちらの側にいても。通学した中学校は誇張でも何でもなく軍隊のような場所だった。誰かが見せしめのように怒られることは日常茶飯事だった。
恐怖。
その先に一体何があるのだろう。常に恐怖を煽られている。耳を塞いでもそれは追ってくる。そんなものに負けたくない。私が苦手なタイプの人は、私がこうはなるまいと思っている人だ。追い立てられることに麻痺していつの間にか重荷が生きがいとなり、他者を嗤うことで憂さ晴らしして、そうやって一生を終えて、ある意味楽なのかもしれないが何のために生きている。
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もう何年も前の話になるが、ある著名な女流作家が「日本に貧困などない、戦争時代に比べたらなんてことはない」と発言した。それに対して社会学の先生が講義中に珍しく声を荒げていた。
「貧困というのは差の問題だ。」
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本当は、見えにくいだけでこの国の大半の人が病的なものを抱えているんじゃないかと思う。