サウナ戦争

銭湯に行き
体を洗って湯船に浸かる。
その日溜まった体の疲れがじんわりとお湯の中に溶けていく。

今日はサウナも入ってみようか、と
銭湯の角にあるサウナを見る。
湯船からサウナを見ようとしても
中の様子はほとんど分からないことが多い。

木の枠に囲まれた窓ガラスから見えるのは一人分の足元だけ。
しかし実際には、一人見えれば中には思ったより人がいるものだ。
ゴキブリのような言い方をしてしまった。

中が見えにくいことも相まって
サウナは異様な雰囲気が漂っている。
湯船とは全く違った強い存在感だ。

それはまるで、公立高校の教室の角にたむろするヤンキーグループのようだと思う。
決してクラス全体の仲良しな雰囲気には染まらず、強い存在感を放ちながら他者を避けつけようとしない雰囲気

そんな雰囲気がサウナにはあるので、重い木の扉を開けるのはいつも小さな覚悟が必要だ。

じっとサウナの方を凝視し、僕は、覚悟を決めて乗り込むことにした。

まずは水風呂を桶ですくってひと被り。
冷たくて不快だが、こうして少しバフをかけておくことでサウナでの滞在時間を伸ばすことができる。

重たい木の扉を開けると、やはり中にいるのは1人ではなかった。

2人の男。1人は足の裏をくっつけて猫背になっている。もう1人は頭にタオルをかぶって力尽きたボクサーのようになっている。
どちらもうつむいている。

辛そうだ。
彼らは後ろに引けば引くほど前に進むチョロQのように、
後の気持ちよさを手に入れるために今はできるだけ辛い思いをしているのだ。

そこに足を踏み入れるガリガリの男。
2人の男はうつむいたまま微動だにしないが、確実に新参者が来たことを意識はしている。
視線は足元を見たまま、第三の目がじっとこちらを見ているのが分かる。

2人の男の間を割って178センチ53キロの貧弱な体つきの男がついに座った。

こんなヒョロガリに負けるわけにはいかないだろう。

サウナ戦争が始まったのだ。

「整う」という言葉が浸透したように
サウナの楽しみ方はここ数年で大きく変わったが、
それでも変わらない暗黙のルールがある。

「すでにサウナに入っていた者より早く出るのは敗北である」

誰に教わらずとも自然と皆がそのルールの下サウナに挑んでいる。
生まれた時から人類の遺伝子に脈々と受け継がれてきたのだろうか。
たとえ日本が憲法9条で平和主義を主張しようとも、サウナにはいつも小さな戦争が巻き起こっているのである。

僕はこの2人の男より後に出なければいけない。
そして、たとえ後に出ても勝ちではない。
あくまで引き分けだ。
2人の男より先に出れば敗北。

引き分けと敗北しかない戦争である。

勝利があるとするなら、後から入ってきた者を先に追い出すことである。

現時点で勝利の権利があるのは僕以外の2人の男のみ。
しかし、彼らはきっと僕の体を見て驚いたことだろう。
こんなゴボウに関節をつけたような貧弱男に勝っても勝利の喜びなどないに等しい。

むしろ僕より先に出ることが引き分けだったはずなのに、少しの敗北感すら感じるかもしれない。

このサウナ戦争の要は、紛れもなく僕になった。


座って5分たっただろうか
水風呂でかけたバフはとうに切れ、
うつむいたまま動かない3人の男。

彼らが何分前からいるのか分からないが
僕は早々に出たくなっていた。

久々のサウナということもあり、やはり堪える。

すると、それまで石像のように動かなかった、足裏をくっつけていた1人の男が動いた。

よかった、とりあえず1引き分けか、という安堵も束の間

男は壁についていた砂時計をひっくり返した。

8分延長が確定した。

砂時計の動きはあまりに遅く、僕に絶望感を蓄積させていく。
こんなに少しずつしか落ちないものか。
地球の重力が弱すぎるのではないか。

なにをしていればこの8分を耐えられるだろうか。
僕の中のリトル本田が「8分!?」と叫んでいる。
このアディショナルタイムはW杯よりも長く感じる。
そして恐ろしいのは、8分後にこの男がもう一度砂時計をひっくり返さないという保証もないということだ。

ああ、もう諦めてしまおうか。

そう思った矢先、さっきまで動かなかったボクサーが頭にかけていたタオルを手にして立ち上がった。

ボクサーが立ち上がる。
それは敗北に打ち勝つことを意味する。

しかしサウナの場合は逆だ。

そのボクサーは立ち上がったまま、我々に背中を向けて重い扉を開けて去っていった。

ありがとう。

砂時計の攻撃が効いていたのは僕だけではなかったようである。
彼もその8分を想像して絶望し、地球の重力を恨んだ1人なのであった。

やっと1対1になった。
ここまできたら8分も耐えられそうだ。
頼むから砂時計が落ちきったら出て行ってくれ。

ただじっと無になって待っていたその時
扉が開いた。

新たなる挑戦者が来たのだ。

僕ほどではないが痩せ型の男は、さっきまでボクサーがいた場所に腰を下ろす。

門下生だろうか。
師匠の敵をとりに来たのだろうか。

これで僕にも勝利の権利が与えられたわけだが、
その時は彼に勝とうなどという期待は微塵もなく、全く別のことを考えていた。

今サウナを出ればいいのではないか?

今入ってきた門下生の立場になって考えてみたら
砂時計の男も僕も、どちらも「初めからいた人」だ。そこに違いはない。

ならば、今サウナを出たとしても僕の敗北は門下生には気づかれないのではないか。

さっきまではボクサーがいたから、僕は出られなかった。2人に僕の負けを知られてしまうことになるから。

だが、今回は砂時計男本人にしか敗北がバレない。

たとえ砂時計男が勝利を主張したとしても、僕の方が先に入っていたと主張すれば水掛け論になる。
そうなれば引き分けに持っていける。

この辛さから解放されて、砂時計の悪夢とおさらばできるのだ。

もう頑張らなくてもいいのか、、
僕の中で敗北がなくなった瞬間、逆に力が漲ってきた。

耐えなければいけないという義務感が、いつやめても大丈夫だという安心感に変わったからだろう。

トイレを我慢している時の感覚に似ている。電車に乗っている時に便意を催したら、駅に着くまではトイレに行けないという緊張感から便意が暴走して限界を感じてしまう。しかしいざ駅に降りてトイレが近づいてくると、案外まだ我慢できるぞという気がしてくる。

その感覚に近い。
そして僕は初めてうつむいていた顔を上げた。

さっきまで地獄の業火のように感じていた暑さが、沖縄の夏休みのように清々しい。

ゆっくりと落ちていく砂時計は、僕に勝てなかった男の命のカウントダウンだ。

彼の精神をすり減らすために内装を見回したりして余裕を見せてみる。
へぇ、けっこういい木使ってんじゃん。
なんて言いそうなすまし顔で首を左右にゆっくりと振る。

砂時計はもう残り少ない。
この砂が落ちきった時、僕が駆け寄って砂時計をひっくり返したら、彼はどんな顔をしてくれるだろうか。
さすがに自分を苦しめることになるのでやらないが。

砂時計の最後の一粒が落ちた。

静かだったサウナにさらなる静寂が広がる。

砂時計男の次の動きによって全てが決まる。

砂時計男は立ち上がった。
重い扉を開けた。
猫背だった背中は立つとまっすぐになっていた。

彼もまた、己の砂時計に苦しめられていたのかもしれない。
自分自身に課せた8分を耐えきったことを誇りに感じているような、そんなまっすぐな背中だった。

よく頑張った。
勝負は引き分けだったが、あなたは自分に勝ったのだ。
その勝ちは本当の勝利の一歩になるはずだ。

砂時計男がサウナのガラス窓から見えなくなったのを確かめ、僕は即座に扉を開けてサウナを出た。

門下生よ。
君も師匠の仇はうったのだ。
あとは自分との戦いだ。頑張りたまえ。

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