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第2919回 IPPONグランプリ


また惰性で一本吸ってしまった。

火をつけた時の記憶もないまま、
思い出せないほどどうでもいいことで頭をいっぱいにして、とりあえず口から煙を出し入れしていた。
気づけば指先のタバコはとっくに短くなっていた。
あと二吸いほどでフィルターだけになりそうだ。

いっそこの一本は初めからなかったことにしようと灰皿に捨てかけるが、
やはり勿体無いのできっちり二吸いして捨てる。

次の一本こそ最高の一本にしよう。
そう心に誓って次のタバコに火をつける。

タバコを吸う人たちは皆、
このような経験しているのではないだろうか。

もちろん根本はただのニコチン中毒なので、
ほとんどの喫煙は欲望に任せて吸っているだけだ。
その際は、特に何も考えず有害物質を接種するだけのただの汚い呼吸をしている。
20本入りのタバコを吸う場合、
約16本は汚い呼吸をしているだけだ。

しかし、せめて一箱に一本は、
嗜好品として嗜む一本を、
時の流れを噛み締めるような一本を、
昔映画で見たシーンのような一本を、
そんな最高の一本を吸おうと心掛ける。

我々喫煙者は最高の一本を求め、
毎日IPPONグランプリに挑戦しているのだ。


本日のIPPONグランプリは夕方、バイトの休憩中に開催することにした。

僕のバイト先の付近には5つもの喫煙所があるのだが、
汚い呼吸選手権をする時は一番近いファミマの喫煙所を使わせてもらっている。
いつも人が多く煙で充満したこの喫煙所は、
汚い呼吸選手権をするにはぴったりだ。


しかしIPPONグランプリを開催する時だけ、5つの喫煙所の中でも一番遠い所にある、港を見渡せて空も見える、圧倒的に景色が良い喫煙所まで足を伸ばす。


ここでなら間違いなくIPPONグランプリに優勝できる。
はずだったのだが、
冒頭で述べたように、どうでもいいことを考えているうちに無駄に一本吸い終わってしまったのだった。

情報の多い昨今、時の流れを噛み締めるように味わうことはとても難しくなった。

小さい頃、ご飯を食べながらテレビを見るなとよく怒られたが、
今やご飯を食べながらテレビを流しながらスマホで漫画を読みながらLINEを返信していたりする。

しかも脳内では全然違う考え事をしていたりして、結局どれもまともに手についていない。

そんな人間が綺麗な景色に囲まれたくらいで
タバコを吸う時間だけに集中できるわけがないのだ。

気づけばスマホを開いているし、関係ないことを考えている。

箱を開けると残りのタバコは二本だけだった。
次でちゃんと決めなければいけない。

さっきの一本を無かったことにした僕はまず
「よし、タバコ吸おう。」
と声に出した。

声に出すことでカオスだった脳内が整理されていく。
今から自分がするべき最優先事項はタバコを吸うことだと自覚し、その目的以外の余計なことはシャットアウトする。

パソコンを再起動してメモリを開放するような行程だ。

そしてそのままゆっくりと火をつけ、段差に腰をかけた。
いい感じだ。しかし未だ脳内の思考のテンポが早いままだ。
余計なことを考えてしまいそうだ。
もっと脳内のテンポを落とさなくては。
段差に手のひらをついて、タバコを咥えて深く深呼吸する。

むせた。
このように、ちゃんと吸ったらとたんにむせたりする。
いかに普段適当にタバコを吸っているかを痛感する。
しかしこれはいい兆候だ。

次に雲の流れに注目する。
この日は昼間にゲリラ豪雨と共に大音量で雷がなっていたせいか、いまや晴れて青い空は見えるものの、雲の流れはいつもより少し早い。

この雲の流れに脳内のテンポを合わせよう。

雲が見えやすい姿勢に座り直そうと
段差から立ち上がったら、
さっきまで段差に触れていた手のひらが真っ黒になっていた。

雨上がりで段差の溝に汚れが溜まっていたのだ。
少し擦ってみたがなかなか取れない。
頑固な汚れだ。
とはいえこういう体についた汚れはなんだかんだ落ちる。
これが服についた汚れなら洗剤でも使わないと落ちないことが多いのだが、なぜか人間の体は都合が良くできている。手のひらに油性ペンの汚れがついて取れなかった経験はあっても、それが次の週まで残って困ることはない。
小さい頃、鉛筆の芯が手のひらに刺さって抜けなくなってそのままにしてしまったが、今や厚い皮膚に覆われて血管と同じような色になって気にもとめなくなった。
恐るべき、人間の自浄作用。


最悪だ。
またどうでもいいことを考えてしまっているではないか。
考えている間にも本能のようにタバコはスパスパ吸っていて、またあと二吸いほどでフィルターだけになる長さだ。

なんでいつもこうなんだ。
自己嫌悪に陥りながら
今回の一本もなかったことにしつつ懺悔の二吸いをして、線香備えるように灰皿に押し付けた。

ラスト一本になった。
もう失敗できない。
今度こそ雲の流れだけに集中すると誓いながら、
タバコにゆっくり火をつけた。

もっと脳のテンポを落とすために音楽をかけることにした。
この曲は「めがね」という映画の中で流れるBGMなのだが、
この曲を聴くととても落ち着いた気分になれる。

この曲が流れ、自分に足りないのは音楽だったことに気づいた。

そうだ。
ご飯を食べながらテレビを流しながら漫画を読みながらラインをして他のことを考えるような、
無意味に五感をフル活用してしまう人間が、
いきなり全て辞めようとするから難しいのだ。
辞めるのではなく、五感を喫煙に最適な環境で支配すればいいのだ。

目は雲の流れを追って
口はタバコを味わって
鼻はタバコと港の潮の香りを嗅ぎ
手は片方でタバコを持ち、もう片方はポケットに入れ
そして耳はゆったりした音楽を聴く


完成した。
空っぽの脳内。
今僕は時間の流れだけを感じている。

IPPONグランプリのモニターに映った僕の顔、
外側から中央へ、少しずつ金色の縁が重なっていく。

あと6票...5票...
あっ!ダメだ。

キモチワルイ。

最高の一本を求めるあまり
短時間に3本もタバコを吸った僕は
普通にしんどくなってきてしまった。

胸がムカムカして肺が痛い。
もうこれ以上は吸えない。
吸ったとしてももう美味しくない。
苦しいだけだ。

IPPONグランプリのモニターには悔しそうな僕の目だけが映っている。
もう少しなのに。

僕は泣く泣くタバコを口からおろし、灰皿に落とした。

第2919回 IPPONグランプリは予選敗退となった。
第2920回は、明日の開催だ。今度こそ。

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