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さようならだね。

愛犬が死んでしまった話のつづきを書きます。

先日、妹がとある占い師さんからロイの死に際の気持ちを聞いてきた。

驚いたことに、亡くなった日の出来事やその日の様子を全く伝えていなかったにも関わらず、状況に即していたという。

というのも、ロイは病院で誰に看取られることもなく息を引き取った。
午前中に病院に連れて行った母も一時帰宅中で、病院からの連絡を受けて死んだことを知った。

占い師さんは「ロイくんは『ママも居ないし、もういいや』と諦めてしまったんだね。」と教えてくれたらしい。けど、そうして楽になったんだよ、と。
『ありがとう』や『泣かないで』といった残された側に都合の良い言葉ではなかったのがなんともリアルに感じた。母は死に際に居合わせることができなかったことに悔しさを強め、おいおいと泣いた。

愛犬が何を思い死んでいったのかをあれからずっと考えていた私に、占い師の言葉はひとつの区切りをもたらした。

ロイは動物然とした(といったらおかしいが)、雪に興奮し庭を駈けまわるタイプとはかけ離れていた。
パーソナルスペースが広く、内弁慶で、距離を詰めるのに長い年月を要した。おもちゃを追いかけて遊んだり、人懐こく誰彼構わずお腹を見せるようなこともしなかった。
だから、ロイが最期に生に執着をしたり、母以外の家族に感謝を伝えたりするのは正直想像し難かった。占い師が告げた愛犬の様子は私の知る彼の像と一致し、そのことに私は救われた。

もちろん、ロイが苦しんで逝ったこと。最期にママに会えずに1人で死んだことを思うと、今でも胸がはち切れそうになる。死への疑問は繰り返し頭を掠めるし、道端で犬とすれ違うとまだ少し痛みが走る。

それでも、見たいように見れるこの世界で、信じたいものを信じることができるなら、私はこの占い師さんの言葉を信じる。
知る由もなかったロイの心の内を知れたんだと。

13年間家族として共に生きてきた。意思疎通のできない生き物だけれど、私はロイを知っている。過ごした時間とその思いに自信を持ちたい、と思った。

そろそろだね

いつか、思いを納めなきゃいけないんだとしたら、今。まだ感情が温かいうちにありがとうを、さよならを書き記します。

ロイちゃんが水を飲む音。フローリングを歩く足音。食卓ではいつも足元でおこぼれを狙っていて、家では自分の世界にふけるくせに、病院に行くと甘えん坊さんになること。車が好きで、ブーブと言うと興奮すること。ドッグランに行ってもランはせず、お風呂が嫌いなこと。全部、全部。

我が家に来てくれて、本当にありがとう。

悲しみだけじゃない。愛おしさや幸せや守りたい、って気持ちも、安心感も。ありがとう。

いつまでもママに引っ付いてないで、どうか安らかにね。天国で苦しいことや寂しいことがないように、強く強く祈っています。

愛してるよ。
ロイちゃん、また会おう。その日まで、さようなら。

ロイ

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