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2020

暦のうえでは、って言って区切るんだからずるいな。太陽は毎日のぼるし、夢だって見るときは見るのに、初日の出初夢だと特別感を仰ぐ。ひねくれ者が暴走してここ数年その年を振り返ることもしてなかった。けど、年々時間のスピードがぐんぐん加速していて、記録しておかないとと焦燥感に駆られてる今。2020年を思い起こしてみることにしました。

留年と自己分析、自己否定と受容めぐりめぐる。~徒歩圏内で。~

まとめるとこんな感じ(笑)。なんか世界狭いな。コロナで家にこもりっきり、や、そうじゃなくても家にしかいないけど、それにしても小さな世界で生きた1年だった。から徒歩圏内ってサブタイトル付けてみた。

就活で自己分析しては自己憐憫に陥って、留年確定して自己肯定感が地まで落ちて、あれ私ってもっと良い感じじゃなかったけ?自分の輪郭がどんどんぼやけて、『千と千尋の神隠し』でハクが食べ物を与えてくれる前、透けていく千尋のような。足元がおぼついた。

就活以外でも、自分軸で生きてる、私とは正反対な人が近くにいて、もう離れ離れになってしまったんだけど。その人を見てると私ってことごとく他人ありきの受け身な奴だなって落ち込んだ。八方美人だし、息をするように空気を読んでしまうし、いわゆる自己啓発本のbeforeみたいな人間だし。こんな風に自分を貶めて考えることばかりだった。結構悲しい年だな。

それでも、家族は面白くて仲良くしてくれる友達や気にかけてくれるバイト先の店長がいて、ありがとうありがとうありがとう。遠回りもいいぞって言ってくれる常連さんなんかにも救われました。私ってほんと恵まれてる。

彼らがいたから他人軸な自分を受け容れることができたんだ。私は私の大好きな人たちのフィルターを通して見る自分の方が各段に好き。そう他人軸を良いように解釈するようになった。彼らのことばに一喜一憂する自分や、彼らの気持ちを一生懸命理解しようとする自分の方が尊いと思う。場面ごとに色んな顔を使い分けてしまうけど、つぎはぎな自分でも繋がってさえいれば良いんだよね。

こうして自分を否定して、自分を受け入れた。ポジティプ野郎の私には21年間ではじめての経験だった。

これを経て考えたこと。最初に書いたけど、淡々と過ぎる時間を暦だなんだと区切られることに違和感を抱く私の最大の気づき。以下。

人生は直線なんかじゃなく、環状的なものなんじゃないかということ。

人が生まれてから死ぬまでの人生という自然物を考えるときにたまたま作られた時間という観念。身長が上に上に伸びるように「成長」「大人になる」なんかも直線的に考えてしまうし、時間の進み方も一定だって考えられている。けど、22歳になろうとしている今も中学生からちっとも変わらないような気がする。しんどい時間は長くて楽しい時間はあっという間なんだから時間の進み方も全然一定じゃない。「大人」なんてことば、いつになったら自分にフィットするのか想像もつかない。きっと、人生は疑問や否定を受容していく過程をぐるぐると巡っていくものなんじゃないかな。

これを書いている今も年の暮れ、おしりの方にいるのかもしれないけど、輪っかで見ればきっとなんでもない中途半端なところにいる。

それでも年を重ねているのは事実。ニキビはもう吹き出物で、必要な知識や失いたくない記憶はどんどんと増えていく。だからこそ、家族やともだち、とっておきの思い出やことばたちに、今年も1年お世話になりました。ありがとうを伝えたいです。



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