大切なことを君が教えてくれた ショートショート18

私、井口加奈は物の声を聴くことが出来る。否、声が聞こえてしまうのだ。
彼らは人間のように考えてから喋ることより、ふと思ったこと、感じたことをそのまま口に出してしまうタイプばかりなのだ。
物同士も会話していることもあり、人間には声が届かないせいか、無駄にどこでも言葉を発している。
私が会社にて、全社会議に出席していた際も備品達が騒いでいた。
社員が多いので、各自自席からモニター越しに社長から今後の会社の経営方針について語っていた。
「このデブ社長の話長げぇよ、俺に座ってるやつもデブだし、もう疲れたわ。はよ終わってくれー。」
この声の主の椅子さんは私の部署の部長の自席である。
残念ながら、会議が終わろうと君の重労働は終わらない。
「社長はもういい、秘書を映せよ、秘書を。」
騒いでいるのはオフィスのウォーターサーバーだ。水こそ漏らしてないが、自分の欲は駄々漏れである。
最初に語ったが、物達は直情的な奴が多い。かつ、聞きたくなくても聞こえてくるのでストレスが溜まる。
このストレスを解消するために、私は静寂さが漂ってそうなところばかりに赴くようにしていた。
しかし、自分の思惑通りにはなかなか事が運ばなかった。
映画に行けば射影機がネタバレをしてくる。
博物館に行けば、絵画が作者の悪口ばかり吐いている。
この親不孝者め。。
おしゃれな雰囲気で、店内ではジャズが流れているバーに行けば、グラス達がロックを口ずさんでいた。
不協和音。。
このように物達に妨害され、何も楽しめないのである。

しかし、私にも快適な空間を手に入りそうな瞬間が訪れた。
トレーニングジムである。
この空間だけは人も物も、全ての声がその場の空気に適しているのだ。
マッチョなお兄さんが近くでトレーニングしていた。
「大胸筋、仕上がってるね!、今日も80kg行っとこう!」
こちらはベンチプレスさんの呼びかけ。
「大町さん、調子良さそうですね。とりあえず100kg10回行ってみよう!」
こちらはジムトレーナーさんの呼びかけ。
そう、この場において、人も物も筋肉のために励ましの声を上げるのだ。
マッチョ(大町)さんも嬉々としてベンチプレスに取り組んている。

今まで、私はその空間にミスマッチした声ばかりを聴いていたからストレスを溜めてしまっていた。
しかし、この場においては人も物も目的は一つ。筋肉の成長である。
ここならきっと人も物も、私のために心地の良い言葉を投げかけてくれるはず。
私がこのジムに申し込んだのはキックボクシングのコース。
キックボクシングの経験はないのだが、一番ストレスを発散できるだろうと選んだ。
「カワイイお姉さんに当たった!」
「もう少し胸が欲しかったなぁ。」
グローブ右とグローブ左が私を見て、暴言を吐いていた。
特に後者の発言をしたグローブ左は受付で別の物と交換してもらった。
さぁ、いよいよキックボクシングに取り組もうとした際にリング横から、「もっと!、もっとだ!」と、サンドバックがジム全体に響く大きな声で叫んでいた。
この声を聴いている人間は私くらいだが。
「あぁ、、、はぁはぁ、、もっと、もっと、、!」
おや?
「たまらん、この女性のおみ足から放たれるキックがたまらん!」
かなり、マゾヒストなサンドバッグが聞くに堪えないことを発していた。
私は過去に出会った中でも一、二を争う変態に出会ってしまい、そして、この変態を蹴ることに躊躇してしまった。
結局、諦めて帰ることにした。このサンドバックを蹴るのも気持ちが悪いし、ご褒美をくれてやるつもりもなかった。

帰宅途中、「いつか必ず殺してやる。。」などと物騒なことを言っている壺に出会った。
なんでも、この壺は人のストレスのはけ口にされているようで、常に文句ばかりを聞かされているとのこと。
本来なら花でも添えてもらえるはずのただの壺が、不憫だった。
この壺とはどういうわけか互いの愚痴の話で盛り上がり、この壺を家に持ち帰った。
この壺と話していて気が付いたが、私は人にも物にも小言を吐かない人間だったようだ。
この壺が家にやってきたことで、物とのコミュニケーションが活性化され、家の家具家電との仲が深まった。
本音を話すってとても大事なのだなと壺さんが教えてくれた。

いいなと思ったら応援しよう!