2022年9月現在の私がやりたいこと
田舎に生まれ育った私は、子供の頃は自分の可能性について、あまり考えたことがありませんでした。
東京は怖いところだと思っていたし、大きくなったら、地元のどこかの会社の事務員さんとして働くのかなと思っていました。
働きたいという希望はあったので、事務員さんを想像をしていたのですが、それ以上の想像はできない環境にいたと思います。
何も考えずになんとなく流されて、地元の福島大学を卒業、ニートになる予定が、やっぱりこれではと、大学4年の年末に就職活動を本格化させ、仙台に営業事務の面接に行ったところ、東京神田で新卒としてキャリアをスタートすることになりました。
そこでたまたま通信販売部に配属され、2004年だったのですが、すでにネット事業に力を入れている会社だったのが、その後の私の方向性を決めました。
東京に来て、2年目には、仕事にも少しずつなれてきて、このままここで定年まで過ごすんだろうかと思ったこともありました。
でも、私は当時はクリエイターに憧れており、せっかく東京にいるのだからと、入社3年目に社会人のためのWebクリエイター養成学校に通って、実力もないまま青山の小さなWeb制作会社に、Webデザイナーという肩書きで転職しました。
そこから3年は転職を繰り返し、いろいろな会社を見て回りました。
そのあと、実力はあまりないままフリーランスのWebデザイナーになり、2010年から活動しています。
フリーランスになって半年後に東日本大震災。私は何も出来ない、ということを実感しました。
そんなこんなで、東京で下請けをやったり、ワードプレス個人レッスンの講師をやったりしながら過ごしていたのですが、2017年にいよいよ、地元福島県での活動をスタートしました。
Webの専門学校に行っていた25歳の頃、学友のみなさんと、「あたなたデザイナーになりたいの?それともディレクター?」なんて話をしていたとき、私は、「全部やりたい。そして最終的に町おこしがしたい。」と言っていました。
Webデザイナーは手段であり、目的は町おこし、それは2022年の今も変わっていません。
ただ、とはいえ、実力がない状態で地元に行っても、ニートにしかなれないだろうと思っていました。
2022年の今、25歳だったら、地域おこし協力隊などでとりあえず地方に行ったかもしれませんが、時代が違いました。
前置きが長くなりましたが、今、私がやりたいことは、当時の25歳の私にチャンスを与えてあげたいということでしょうか。
いろんな人にお世話になって、ときにはひどく迷惑をかけて、今の私は生きていますが、そろそろ迷惑を被る側に、ということだと思います。
具体的にやりたいことは、今まで数年、続けてきた、地元での情報発信事業の収益化です。
その先に、地元でのシェアタクシーだったり、後継者マッチングの実現があると思います。
今、県も情報発信に力を入れているので、会社化して、プロポーザルで仕事をとったり、そういうこともしたいです。
一応国立大の福島大学経済学部を卒業し、それなりにちゃんとした会社員になった当時の私は、安全な場所にいながら、クリエイティブな仕事に憧れていました。
今も、みんなそうなんじゃないかと思います。
私たちが今までやってきた情報発信事業は、ユーザー参加型です。
ライターに記事作成を依頼すると、それだけでお金がかかりますが、なにか一歩を踏み出したい人をサポートする代わりに記事を書いてもらう、という仕組みで、やっていけないかなと。
とにかく今、今まで私たちがやってきた情報発信事業に必要なことは組織化と収益化だと思います。
そうじゃないと続けられないし、このまま終わらせるにはもったいないぐらい、形にはなっています。
誰か、一緒にやりたい人、いませんか?
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