(教訓)兄弟が亡くなった時……
こんばんわ、今日は兄が亡くなった時の話を書こうと思います。人が亡くなるというのは本当に突然のことで驚きを隠すことはできません。そんな中でも容赦なく手続きはやってきます。そんな話を書いていきます。
兄が亡くなった時のことを時系列で書いていきます。内容としては、「兄が亡くなった話」、「手続き関係と私」とこんな感じのことを時系列で書いていきます。長くなります。よろしかったらお付き合いください。
兄が亡くなった時の話
兄は今から一年前の寒い季節に亡くなりました。当時、私は実家から離れた場所で結婚した旦那さんと暮らしていました。亡くなった日は雨の日で、私は旦那さんと結婚祝いのお返しを買いに出掛けていました。
家に帰ってきて、スマホを見ると画面に父からの着信があり、私は画面ロックを開けて、着信が何かと気になり見てみたのです。見てみるとLINE画面に父からの大量の着信。どうしたのか、何があったのかと驚き、急いで折り返し電話をしました。電話に出た父は泣いていました。私は何事かと思い、只事ではないことを悟りました。そして父の「お兄ちゃんが亡くなった」という言葉に「嘘!」と返しました。その言葉しか出てこなかったのです。
私は、兄が亡くなる3日前に実家に帰っていました。そして2日前に自宅に帰ってきたのです。その2日前に兄を「いってらっしゃい」と送り出したのが、生前の兄を見た最後になりました。
知らせを聞いてからは、慌ただしく実家に帰る準備をし、旦那さんには兄が亡くなった旨を伝えました。その時の私はひどく慌てていたようで、「落ち着いて、君が事故に遭ったら困るよ」と少し落ち着いて準備をしてと旦那さんに言われました。今、思い出してもかなり焦っていて、父が泣いていることも、兄が亡くなったことも、想定外でした。そのため早く帰らなければならない、急いで帰らなければならないと慌てていました。この時ほど、実家との距離を恨んだことはありませんでした(その時だけですけどね!)。離れていたことや泣いている両親の近くにすぐに行けないことがもどかしかったです。
実家に帰る準備をして、自宅を出て、電車に乗る。この道のりの間、旦那さんが途中まで付き添ってくれました。急なこともあり、仕事の調整ですぐには一緒に来れないということで途中まででした。途中まででも私にとっては本当にありがたいことで、帰る間ずっとモヤモヤと考えていました。兄が亡くなったことを受け入れられない反面、父が私を驚かそうとそんな電話をかける人ではないことはわかっていたので本当のことなのだとも感じていました。そんな考えに頭が支配されている中、旦那さんはずっと手を握っていてくれました。その手の温かさに、私は本当に救われました。
こういう時って人の手の温かさに、本当に救われます。近くに寄り添ってくれることもありがたいです。さらに手を握ってくれることで私は「独りではない」ことを実感できました。もちろん人によって違うと思うので、これは私の場合として捉えていただけるとうれしいです。
実家に帰る間、旦那さんと別れた後はいとこが助けてくれました。到着して、寝ている兄を見て「あぁ、本当だった…」と私は泣きました。今まで近くにいた存在があっという間に消えてしまうことをこの時初めて実感したように思います。
当たり前のように近くにいて、遠く離れていても帰れば会える存在だった兄。その人は亡くなってしまいました。頭ではわかっていました。人が亡くなることを、別れが来ることを。しかしちゃんと知らなかったんだなとわかりました。もう話せないことも、笑いかけてもらえないことも、その時初めてわかりました。私にとってはこれが初めてのお別れでは無いのです。「兄」という一番近い存在が亡くなって、「お別れ」の意味をわかったように感じました。
幸い、この時はまだコロナも流行りかけで、帰省することが今よりも気楽にできていました。今はコロナが流行し、なかなか帰省ができません。遠く離れた両親や親戚、とても親しい人に対しては連絡することが大事だと感じています。コロナで会えないからこそ、電話やメールでの連絡の大切さが身に沁みます。今はビデオ通話もあって顔を見て話すこともできますね。
ぜひ大切な人とは時間を惜しまず、話してくださいね。別れというのは本当に急であっという間ですから。
教訓「話せるうちにたくさん話そう」ですね。
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