vol.6_ヨーロッパに製紙技術が渡ったのはいつのこと?

こんにちは!"RETHINK PAPER PROJECT"のシミズサトシです。
本日もご覧いただき、ありがとうございます。

さて、前回は紙が、イスラム世界に渡った、というお話しでした。

今回は、ついに、ヨーロッパへ紙が渡ります。ついに渡りますよ!
紙がヨーロッパに渡ると、製紙技術が大きく改良されたり、紙によって色んな文化が花開いたり、紙が世の中を大きく変えるキッカケを作ったりと、もう、大変なことになっていきます(笑)

最初に、名言チックなことを言っておきます。

”紙がなかったら、今の暮らしは大きく違うものになっていただろう。”

ちょっとカッコつけちゃった訳なんですけれども、そう言っても過言ではないんです、本当に。
ヨーロッパでの紙の歴史を見れば、その答えが分かります。
紙の役割が、価値が、ここで大きく動きます。
ヨーロッパ編、結構長くなりますよ(笑)

それでは、今回もよろしくお願いいたします。

■ヨーロッパで最初に紙が渡った場所

まず、現在のヨーロッパの中で、最も早く紙が渡った場所をお知らせします。「アル=アンダルス」と呼ばれる場所です。
アル=アンダルス・・・?どこですか?
はい、今のスペインのあたりと思ってください。
フランスの南の、ピッって出たところです。エジプトの北の、ピッって出たところです。通称、イベリア半島ですね。

前回、イスラム帝国の話をしました。
イスラム帝国は、ウマイヤ朝と呼ばれる時代に、ベルベル人の先住民が住むモロッコを攻めて、そこから色んな人間関係のいざこざがあって、「アル=アンダルス」を支配下に治めます。
#めっっっちゃ端折りました
(ここの色々あった話も、なかなか面白いので、興味のある方は調べてみてください。)

アル=アンダルスは、イスラム帝国とそもそもの文化が違っていました。
そう、キリスト教の文化だったんです。
もちろん、イスラム帝国は、そこに目を瞑るわけがありません。

僕たち日本人にはあまり馴染みがないですが、イスラム教の教えは、信仰活動だけの話ではなくて、政治とか社会関係までもを定めているんです。
つまり、宗教によって国家運営すらなされていくという状況です。

当然、アル=アンダルスの人たちの、イスラム教への改宗が進められます。
これは、あくまで強制ではありません。
改宗すると、免税があったり、昇進のチャンスを貰えたりするといったインセンティブを与えられるんです。
つまり、改宗しないと、・・・ってことです(笑)
#強制ではない

こうして、アル=アンダルスはイスラム帝国の文化に染まっていきます。
イスラムと言えば「知識の宝庫」でしたから、数学、天文学、医学、工学、農学、文学などの学問が一気に入ってきます

当然、製紙技術も渡ってきます。
アル=アンダルス産の紙として最初に記述があるのは、1056年。「ハティバ」という街です。これが、現在のヨーロッパで初めて作られた紙ということになります。
ハティバは、紙を作るのにとても適した土地だったんです。というのも、高品質な亜麻糸(アマイト)がとれたからなんです。亜麻糸より、リネンの方が聞き馴染みがありますかね。
そんなこんなで、12世紀には、ハティバ産の紙は、イスラム世界で最高品質の紙に君臨することになります。

■イタリアでの技術改良

その後、(アル=アンダルス以外の)ヨーロッパに製紙技術が渡っていくことになります。

ヨーロッパ内で、アル=アンダルスの次に紙を抄いたとされるのは、イタリアです。ファブリアーノと呼ばれる地域です。
今でも、ファブリアーノは製紙が盛んな地域ですよね。

イタリアが紙を抄くのに先行した理由の一つに、「イスラム世界との接点が近かった」ということが挙げられます。
彼らは、イスラム世界で生まれた学問や文化を取り入れまくります。

一つ例を挙げると、彼ら自身が考案してキリスト教内で使われていた「ローマ数字」(ドラクエの数字で使われているやつです)を、自ら率先して「インド・アラビア数字」に切り替えたりしています。
僕たちもお馴染みの「複式簿記」なんかもそうです。これも元を正せばイスラム世界での考え方ですが、イタリア人が取り入れて、あろうことか「イタリア式簿記」と名付けます(笑)

そんなこんなで、イタリアを皮切りに、ヨーロッパに製紙技術が渡っていくことになります。

他のヨーロッパ諸国の話に移る前に、イタリア人が残した功績を話しておきます。

まずは、ドロップ・ハンマー。これは、イスラムで技術開発された水車を応用したもので、水車に軸を取り付けるんですけど、水力を利用して軸を回転させて、回転軸に取り付けられたハンマーが原料を打ち砕くというシステムです。これまで、人が手で打っていたと考えると、飛躍的な進歩ですね。

それから、金網を張った型枠。アイデア自体はヨーロッパ以前にあったらしいですが、この技術を完成させたのは、イタリアです。これまでの竹とかと比べるときめ細やかな紙が抄けるようになりました。つまり、品質の向上に繋がったということですね。

こんな感じで、イタリアは、製紙技術の改良に大きく貢献します。

その後、14世紀後半にはドイツで、15世紀半ばにはフランスで、紙が抄かれるようになっていきます。
ヨーロッパに着々と紙の文化が広まっていきます。

■なぜ、ヨーロッパ人は紙を取り入れるのが遅れたのか?

ここで、一つの疑問が生まれます。

なんでヨーロッパ人は、製紙技術を取り入れるのが遅れたの?

これには、いろん仮説があります。

まずは、宗教的な理由です。
キリスト教の文化には受け入れづらかった、というものです。しかしこの仮説は、アル=アンダルスをはじめとしたイスラム世界でのキリスト教徒が紙をすんなり受け入れていることから、否定されます。

2つ目の仮説は、反ユダヤや反アラブの感情からくるものでは、というものです。
この仮説に対する反論としては、反ユダヤ主義の文学が多数ある中で、紙と関連づけられるものが見当たらない、ということです。

僕が読んだ本の言葉を引用すると、「ヨーロッパ人の生活は効率的な書写媒体を必要とするほど知的で文化的な段階に達していなかった。」とされています。

僕は、専門家でもなんでもないので、ここに対する意見は控えます(笑)

しかし、紙の存在を知っていながら、製紙技術を取り入れるのは遅れた、というのは事実です。
歴史に詳しい皆さんのご意見が伺えたら嬉しいです。

■言葉を量産できる技術へのニーズ

さあ、ヨーロッパで製紙技術が確立されてきて、同時に、紙を使う文化も根付いていきました。
学問、文化・芸術、ジャーナリズム、様々な用途で紙が普及してきます。

そうすると、一つの問題が顕著に出てきます。
そう、書籍の量産が追いつかないんです。当時は、写字生という、手で書き写す人がいて、彼らが書籍を増刷していたんです。

これまでは、「紙は粗悪なものだ」と毛嫌いしていた多くの人たちも、書写媒体としての紙を受け入れていくのですが、それを書き写していくための技術が遅れをとっていきます。

紙の量産体制はある程度整ったんですが、肝心な、紙に文字を書き写す写字生の作業が全く追いつかなくなるんです。

そして、ついに、あの技術がヨーロッパで誕生します。
中国四大発明。「製紙、火薬、羅針盤、印刷」
そう、「印刷」です。

ようやく、中国から始まった製紙技術を取り入れたヨーロッパが、またもや、中国発の技術を採り入れる時がきます。

ついに次回、ヨーロッパで印刷が発明されます。
人類のコミュニケーション史において、とてつもなく大きなインパクトを与えた印刷。

ここから、紙と印刷のシンクロによって、世の中が大きく変わっていきます。
まじで、本当に、確実に、面白いです!次回から、やばいです!紙と印刷が大暴れします!超絶、ご期待ください!

それでは、本日はこの辺で失礼いたします。最後までご覧いただき、ありがとうございました。


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