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『稲盛和夫一日一言』 7月28日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 7月28日(日)は、「感謝の言葉」です。
ポイント:「ありがとうございます」という感謝の言葉が心から自然に発せられるようになれば、人は謙虚になれる。同時に、その一言は周囲の人をも和ませる。
2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、感謝する心を持つことの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
今という時代は、物質的な豊かさとは裏腹に、心の貧しさ、精神の空虚さが顕著になってきています。なかでも、「感謝」の心が希薄化しているように思います。物があふれ、満ち足りた時代だからこそ、「足るを知る」心、またそれを感謝する心を、もう一度見直す時期がきているように思います。
私がまだ若く社会も貧しかったころ、人生を生きるうえでもっとも大切に考え、そうであろうとも努めてきたのは、「誠実」ということでした。
人生や仕事に対して、できるかぎり誠実であること。手を抜くことなく、まじめに一生懸命に働き、生きるということです。
これは貧しい時代の日本を生きた人にとっては格別珍しいことではなく、当時の日本人に血肉化されていた特徴であり、また美徳でもあったように思います。
やがて、社会が豊かになって落ち着き、京セラの経営が軌道に乗って規模も大きくなってくると、私の心の中で大きな位置を占めるようになってきたのは「感謝」ということでした。
誠実に努めることからもたらされた恩恵に対して、「ありがとうございます」という思いが自然に湧いてくる。そうした体験を繰り返すうちに、自分の中に次第に形成され、実践すべき生活の徳目として定着していったものと思われます。
振り返ってみると、この感謝する心というのは、私の道徳観の根底を地下水脈のように流れているもので、その起源は父親に同行した「隠れ念仏」という最初の宗教体験で教えられたものでした。
実際、「なんまん、なんまん、ありがとう」という、子どものときに覚えた易しい祈りの言葉は私の信仰心の原型となっていて、感謝する心を培うきっかけとなってきました。
実際、この言葉をつぶやくことで、誰に対しても、何に対しても、いいときはもちろん、悪いときも「ありがとう」と感謝する心を涵養し、できるだけ正しく生きようと努めてきたつもりです。
「禍福(かふく)はあざなえる縄のごとし」
よいことと悪いことが織りなされていくのが人生というものです。だからよいにつけ悪いにつけ、照る日も曇る日も変わらず、感謝の念を持って生きること。
福がもたらされたときにだけではなく、災いに遭遇したときもまた、ありがとうと感謝する。そもそも今自分が生きている、生かされている。そのことに対して感謝の心を抱くこと。
その実践が、私たちの心を高め、運命を明るく開いていく第一歩となるのだと、私は心に言い聞かせていました。
必要なのは、「何があっても感謝の念を持つ」のだと、理性にインプットしてしまうことです。たとえ感謝の気持ちが湧き上がってこなくても、とにかく感謝の思いを自分に課す、つまり「ありがとう」と言える心を、いつもスタンバイさせておくことが大切なのです。(要約)
2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)「六つの精進ー4 生きていることに感謝する」の項で、名誉会長は次のように説かれています。
感謝の心が生まれてくれば、人生に対する幸せを感じられるようになってきます。生きることに感謝し、幸せを感じる心によって、人生を豊かで潤いのある素晴らしいものに変えていくことができるのです。
不平不満を持って生きるのではなく、現状あるがままを、あるがままに感謝し、さらなる向上を目指して一生懸命に努力する。そのためにも、まず生きていることに感謝すべきです。(要約)
感謝の言葉が溢れている職場や家庭には、和やかな雰囲気が流れているはずです。
「ありがとうござます」+「謙虚にして驕らず、さらに努力を」
これからも常にそうした気持ちを忘れずに生きていきたいものです。