『稲盛和夫一日一言』 5月17日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5月17日(金)は、「現場には神がいる」です。
ポイント:仕事の現場には神がいる。万策尽きたと思っても、いったん冷静になって、もう一度周囲を観察し直してみると、解決のヒントをささやきかけてくる神の声が聞こえてくる。
2012年発刊の『京セラものづくりの心得を語る』(伊藤謙介著 京セラ経営研究部編/非売品)の中で、一所懸命努力することで天の啓示を受けることができるとして、伊藤謙介元京セラ会長は次のように述べられています。
現場で難しい問題に直面し、その解決に向けて必死に苦闘していると、突然その解決につながるアイデアがひらめいて、問題が一挙に解決していくような場合があります。
それは、あたかも現場に宿る神が救いの手を差し伸べて、自分に与えてくれた天の啓示のようにさえ思えるものです。
しかし、そのようなひらめきや思いつきといったものは、自分が苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて、それでもなお必死になって努力をし続けているときにしか得られないものです。
常に現場に立ち戻り、現物、現象をつぶさに確認しながら、必死の思いで仕事に打ち込むことが、結果としてわれわれを問題解決へと導いてくれるのです。(要約)
伊藤元会長は、この内容の紐解き講話の中で、自らの体験も踏まえて、次のように話されています。
私は製造部門を担当していたとき、納期対応などで苦しみ抜いた経験があります。夜通し考えても、なかなか良い解決策が浮かびません。翌日出勤すると、お客様からは営業を通じて回答はまだかと催促がきています。
製造部門にはこれ以上できないというほど製造工程を詰めてもらっています。どうしても解決策が見つけられずに、八方塞がりといった状態になっていました。
ストレスがたまって、思わず河原にでも行って、わぁっと叫び出したいくらいまで精神的に追い込まれていたのです。
それでも何とかして解決したいという強い思いを持って、現場に戻ってじっと眺めていると、「こうしたら解決できるかもしれない」とふっと感じるものがあったのです。それは、まさに天の啓示かと思えるようなものでした。
現場には神が宿っており、われわれが難しい問題に直面し、その解決に向けて必死になって真剣に努力していると、神はそういう人に対して、ああこうすればいいんだといったひらめきのようなもの、つまり啓示を与えてくださるのです。
神はわれわれの様子をじっと見ておられるのでしょう。真剣に必死になって頑張っているからこそ、何かを与えてくださるのです。天の啓示が受けられるほど、真剣に仕事に取り組むことです。
決して目の前の苦しみから逃げ出してはいけません。苦しくても、何とかしてその修羅場をくぐり抜けなければなりません。それには、自分が頑張るしかないと心に決めて、やり抜くことが大事なのです。(要約)
2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)「困難に真正面から取り組む」の項で、稲盛名誉会長は次のように説かれています。
研究開発にしても事業にしても、どうしても壁を破ることができないことがあります。ところがあるとき、簡単にその壁が破れることがあります。そして一旦解決してしまうと、何でもなかったと感じることがよくありました。
例えば、鉄の扉だと思って、いくら身体をぶつけても開かなかったのに、いとも簡単に開いてみると、実は障子(しょうじ)だったというようなことがあります。
指で突いたら簡単に穴があくほど弱いものだったのに、それがあたかも鉄の扉のごとく私の前に立ちはだかっていたということです。
実際にはそうではなかったのに、心理的に本人が鉄の扉だと思い込んでしまっている、そのようなケースはいくらでもあるはずです。
困難に真正面からぶつかり、一生懸命に努力をすることで、その心の扉を打ち破ることができるのです。(要約)
大きな困難に遭遇したとき、それを正面突破しようとすればそこには勇気が必要になります。そのつど、策を弄して解決しようとしたり、迂回してゴールを目指そうとしても、そうそううまくはいかないでしょう。
たとえそれが孤独な闘いになろうとも、目の前にそそり立つ高い壁に対して、真正面から真剣に取り組んでいくという姿勢を崩してはなりません。
その努力、その真摯な姿勢、態度を見て、現場の神様は「こうしたらどうだ」と課題解決のためのヒントをささやきかけてくれるのです。
あえて厳しい生き方を選ぼうとする姿勢が、自分では想像もつかないほど素晴らしい神の啓示や他力を呼び込む源となっていくのではないでしょうか。
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