見出し画像

『稲盛和夫一日一言』11/17(木)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11/17(木)は、「努力の報酬」です。

ポイント:世のため人のためと強く願い、必死の思いでひたむきに仕事に取り組めば、その努力の報酬として天の「知恵の蔵」に蓄積されている叡知の一部を与えてもらうことができる。

 2009年発刊の『働き方』(稲盛和夫著 三笠書房)の中で、持てる力のすべてを出し切ることの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 古今東西の偉人たちの足跡を見ても、そこには気の遠くなるような努力の跡があります。生涯を通じて、地味な一歩一歩の努力を積み重ねていった人にしか、神様は成功という果実をもたらしてくれないのかもしれません。

 京セラが創業して、まだ10年もたっていないころのことです。お客様から当時の弊社の技術水準をはるかに超えた受注をいただきました。四苦八苦して試作品を納めるのですが、ことごとく不良と判定されました。その後、やっとの思いで要求通りの製品に仕上ったと判断して出荷したものの、全品返品の憂き目に遭ってしまいました。
 「これ以上は無理だ」といった空気が社内に満ちていたある夜、私はその製品を焼成する炉の前で立ちすくんでいる一人の若い技術者を見かけました。彼は「万策尽きた」と意気消沈し、肩を震わせて泣いていたのです。
 そんな姿を見て、私の口から思わず、こんな言葉が飛び出しました。
「どうかうまく焼き上げてください、と神様に祈ったか?」それを聞いた彼はかなり驚いたようでしたが、私の言った言葉を何度かつぶやいた後、「わかりました、もう一度、一からやってみます」と吹っ切れたようにうなずいて仕事に戻っていきました。
 その後、彼を含む開発チームは困難な技術課題を次々に克服し、お客様からの高い要求水準を満たす「手の切れるような製品」の開発に成功したばかりか、気の遠くなるような数の製品を期日通りに仕上げて完納したのです。

 人事を尽くして、後はもう神に祈り天命を待つしか方法はない、と言えるほどすべての力を出し切ったのか。製品に自分の「思い」を込め、誰にも負けない努力を重ねたのか。そこまで強烈に思い、持てるすべての力を出し切ったとき、はじめて「神」が現れ、救いの手を差し伸べてくれるのではないでしょうか。(一部要約)

 このエピソードは京セラ社内では伝説になっているもののひとつなのですが、京セラ入社以来、セラミック材料の研究開発に従事し、日常的に同様の作業を繰り返していた私にとっては非常に大きなインパクトを持つ言葉となりました。
 果たして自分はそこまでの強烈な想いを持って、また自分の持てるすべての力を出し切ったと断言できるような取り組みをしてきたのかと自問し、何度も身体がこわばる思いをしたのを覚えています。

 稲盛名誉会長自身、技術者らしくない言葉だと言われていますが、何としても成功させたいという必死の思いでひたむきに取り組んだ「努力の報酬」として目に見えない力が働く。

 「神様」や「天」の存在自体については議論の分かれるところでしょうが、私の実体験からは、すさまじいまでの修羅場をくぐり抜けた人だけにしか見えない、また与えられない世界があるのは紛れもない事実ではと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?