『稲盛和夫一日一言』 5月13日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5月13日(月)は、「活路を開く」です。
ポイント:新たな活路を開くには、自らを極限にまで追い込める強さと勇気を持たなければならない。
1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす ー素晴らしい人生をおくるためにー 』(稲盛和夫著 PHP研究所)「困難に真正面から取り組む」の項で、いかなるときも困難な状況から逃げてはならないとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
難しいが、どうしても解決しなければならないという状況に置かれたとき、目の前の困難な状況から逃げてはいけません。勇気を持って真正面からその困難に立ち向かうのです。
そこには「何としてもやり遂げる」という、ちょうど修行僧のような切迫感が必要です。
また同時に、一切のものにとらわれることなく、素直な目で現象を見なければなりません。先入観を持っていては、物事はその真実を語ってくれないからです。
「何としてもやり遂げなければならない」という強い思いがある一方で、苦しければ苦しいほど、現象をつぶさに見つめ直すという素直な姿勢も必要となるのです。
そうすれば、今まで見過ごしていたものを、ハッと見つけるものです。私はそれを「神のささやく啓示」と呼んでいます。
啓示を受けるほどの切羽詰まった状況、真摯な態度からしか、真にクリエイティブなものは生まれてきません。素晴らしいアイデアを得ようとするならば、困難に真正面から取り組むという姿勢がどうしても必要なのです。(要約)
同著「新たな活路を開くために」の章には、次のような項が並んでいます。
・厳しい課題を課す
・仕事に酔う
・動機善なりや
・今日を懸命に生きる
・仕事を考え尽くす
・単純化して考える
・人間性を基盤とする
・徹底の決断をする
「厳しい課題を課す」の項で、名誉会長は次のように説かれています。
活路を開くためには、環境に甘えることなく、自分を極限にまで追い込める精神力が必要です。
つまり、精神的に自分自身を追い込める人、楽な方向へ流れようとする自分に対して、厳しい課題を課すことのできる真摯な人間性を持ち、真剣に自分の仕事で悩むことのできる人でなければ、この時代に新たな活路を開くことはできないと思います。(要約)
また「動機善なりや」の項では、次のように説かれています。
新しい事業に展開する場合など、「動機善なりや」ということを自らに問わなければなりません。何かをしとうとする場合、自問自答して、自分の動機の善悪を判断することが必要です。
善とは普遍的に良きことであり、普遍的とは、誰から見てもそうだということです。物事は、自分の利益、都合、格好などだけで全うできるものではありません。自他ともに、その動機が受け入れられるものでなければならないのです。
また、仕事を進めていくにあたっては、「プロセス善なりや」ということも問うていかなければなりません。結果を出すために不正な行為も厭わないということでは、いつか手痛いしっぺがえしを食らうことになるでしょう。
実行していく過程においても、人の道を外れることがあってはならないはずです。
言い換えれば、「私心なかりしか」という問いかけが必要なのです。つまり、自己中心的な発想で事業を進めていないかどうかを点検するのです。
私は、動機が善であり、実行過程が善であれば、結果は問う必要もない、必ず成功すると固く信じています。(要約)
京セラでは、会議や打ち合わせの際に、「見えてきたか?」という言葉が頻繁に使われています。
それは「成功・ゴールに至るプロセス、道筋が見えてきたか?」という意味なのですが、私のつたない経験からしても、四六時中そのことを考え、徹底的なシミュレーションを繰り返していると、まだ実験もしていないのに、時として「見えた!」と思える瞬間が訪れることがありました。
そうした「見える」状態に至るためにも、「自らを極限にまで追い込める強さと勇気を持つ」ことが不可欠ではないかと思っています。