『稲盛和夫一日一言』11/20(日)
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11/20(日)は、「許す心」です。
ポイント:許せないものを許そうとすることは、人間の感情において最も厳しい葛藤であり、最大の修行をしいられる行為でもある。しかし、それを乗り越えていくことが、何よりも心を高めることにつながっていく。
2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)第3章「心を磨き、高める」の中で、仏教用語の「三毒」について、稲盛名誉会長は次のように述べておられます。
私たちの人間性を高めていくためには、感謝する心、素直に反省する心のほかに、過剰な欲を離れることも必要になってきます。この貪欲(どんよく)というは実にやっかいなもので、人間の心の根深いところに抜きがたく住みついて人間をむしばみ、私たちの生きる道を誤らせる毒となるものです。
仏教では「欲望」「愚痴」「怒り」を「三毒」といい、百八つあるといわれる煩悩(ぼんのう)のうちでも、ことに人間を苦しめる元凶であり、また逃れようとしても逃れられない、人間の心にからみついて離れない毒素のようなものです。
これらは人間が生存していくために不可欠なエネルギーでもあるのですが、また自分たちを不幸にし滅ぼしてしまいかねない毒ともなります。
大事なのはできるだけそうした「三毒」から離れることです。完全に消してしまうことはできなくても、それらを自らコントロールして抑制するよう努める以外に方法はありません。(要約)
「三毒 」とは、 仏教 において克服すべきものとされる最も根本的な三つの 煩悩 、すなわち 貪(とん) ・ 瞋 (じん)・ 癡 (ち)を指しています。 「三毒」は人間の諸悪・苦しみの根源とされ、ブッダの説いた根本仏教、大乗仏教を通じて広く知られる概念となりました。
貪は、貪欲(どんよく)の貪で、貪り(むさぼり)とも呼ばれ、欲しいものなどに対して執着する心、「欲望」を意味します。
瞋は、瞋恚(しんい)の瞋で、瞋(いかり)とも呼ばれ、怒ること、腹を立てること、「怒り」を意味します。
痴は、愚痴(ぐち)の痴、あるいは無智(むち)の智とされていて、真理を知らず、物事の理非の区別がつかないこと、真実を知ろうとしない心を意味します。いい加減な情報や嘘、デマなどの情報に振り回されて正しい判断が出来ない状況で起こる感情、「妬(ねた)み」「嫉(そね)み」「恨(うら)み」などを表しています。
今日の一言では、「心を高めることが現世の中で一番重要なことだとすれば、許せないものを許そうとすることは、人間の感情において最も厳しい葛藤(かっとう)であり、最大の修行をさせられていると考えられる」と言われています。
仏教では、相手がどんなにひどいことをしてくるような人間であっても、腹を立ててはいけないと教えています。人間を苦しめる元凶とも言えるこうした「三毒」をどう抑制していくのか。それは生涯を通して心の中で繰り返される葛藤ではありますが、それらを一つひとつ乗り越えていくことでより自分の心が高められる、これも修行なのだと信じることで、より心安からな人生を過ごしていけるのではないでしょうか。