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『稲盛和夫一日一言』3/13(月)
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 3/13(月)は、「才子の落とし穴」です。
ポイント:才子は往々にして、今日をおろそかにする傾向がある。そして、功を焦るあまり、思わぬところで足をとられることも少なくない。
2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)のプロローグで、才覚にあふれた人のあやうさについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
世間には高い能力をもちながら、心が伴わないために道を誤る人が少なくありません。魂というものは、「生き方」次第で磨かれもすれば曇りもします。人生をどう生きていくかによって、私たちの心は気高くもなれば卑しくもなるのです。
私が身を置く経営の世界にあっても、自分さえ儲かればいいという自己中心的な考えから、不祥事を起こす人がいます。いずれも経営の才に富んだ人たちの行為で、なぜと首をひねりたくもなりますが、古来「才子、才に倒れる」「才子、才に溺れる」といわれるとおり、才覚にあふれた人はついそれを過信して、あらぬ方向へと進みがちです。そういう人は、たとえその才を活かして一度は成功したとしても、才覚だけに頼ることで、失敗の道を歩むことになります。
才覚が人並みはずれたものであればあるほど、それを正しい方向に導く羅針盤が必要となります。その指針となるのが、理念や思想であり、また哲学なのです。
そういった哲学が不足し、人格が未熟であれば、いくら才に恵まれていても「才あって徳なし」、せっかくの高い能力を正しい方向に活かしていくことができず、道を誤ってしまいます。これは経営者に限ったことではなく、私たちの人生にも共通していえることです。(要約)
今日の一言では、「才子は、その才ゆえになまじ先が見えるため、今日一日をじっくり生きる亀の歩みを厭(いと)い、脱兎(だっと)のごとく最短距離を行こうとする。しかし、功を焦るあまり、思わぬところで足を取られることもまた少なくない」とあります。
有名な「うさぎとかめ」のイソップ童話にちなんだ内容になっていますが、実はこの童話には3つの教訓が含まれていると言われています。
一つ目は、「己の能力を過信してさぼったりせず、コツコツとたゆまぬ努力を積み上げていくことが大事」ということです。
かめはうさぎの横で一緒に昼寝をすることもできたはずですが、自分の能力を正しく判断し、ひたすらゴールを目指して、途中で自分の歩みを止めようとはしませんでした。
二つ目は、「しっかりと目標を定めることの大切さ」です。
うさぎはかめに勝つことを目標とし、かめは山の頂上にゴールすることを目標としていた。つまり、うさぎとかめは目指すところの目線が違っていたのです。もし、うさぎが最初からゴールすることを目標としていれば、ゴールした後に昼寝をしたのでしょうが、かめに勝つことを目標としたため、能力が断然上のうさぎは油断してしまった。
そして三つ目は、隠れた教訓とされているようですが、「勝負事では相手に情けをかけないのが鉄則」というものです。
昼寝をしているうさぎを起こさなかったかめは策略家と言われています。
名誉会長は、六つの精進「善行、利他行を積む」の項で、「情けは人のためならず」として、人のために行った善き行いは、必ずその当人に返ってくる。だからこそ、ただ単に情けをかけてあげればよいというものではなく、「小善」的な判断なのか、「大善」的な判断なのか、その情けのかけ方が問題なのであって、人様に善きことをしてあげることは、絶対的によいことだと説かれています。
京セラ入社当時、凡人の私にとっては、同期入社で才気あふれる能力の高いメンバーたちはただただまぶしい存在でしかありませんでした。しかし、在籍40年というスパンで見てみると、その後も輝き続けて出世したメンバーもいれば、埋もれてしまったかのようにいつのまにか輝きを失ったメンバーがいたのも現実です。
人生100年時代といわれる昨今、会社人生がすべてではないのですが、「生き方」次第で魂は磨かれもすれば曇りもする、ということは間違いないことのように思います。