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『稲盛和夫一日一言』 4月4日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 4月4日(木)は、「すべてに善かれかし」です。

ポイント:すべてに対して「善かれかし」という利他の心、愛の心を持ち、努力を重ねていけば、宇宙の流れに乗って素晴らしい人生を送ることができる。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、心を高める努力を繰り返していくことの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 世の中の現象を見ていると、宇宙における物質の生成、生命の誕生、そしてその進化の過程は、決して偶然の産物ではなく、そこには必然性があると考えざるを得ません。

 この世には、すべてのものを進化発展させていく流れがあります。それが「宇宙の意志」と言うべきものであれば、そこは愛と誠と調和に満ち満ちています。そして、私たち一人一人の思いが発するエネルギーと、この宇宙の意志とが同調するのか反発し合うのかによって、その人の運命は決まってきます。

 そうした宇宙の意志と調和するには、我々の心が美しく純粋でなければなりません。お釈迦様の教えにも、「心が清らかであれば、あなたが歩まれる道も平らかなものでありましょう」とあります。
 そうは言われても、理屈っぽい我々現代人にはなかなか簡単には理解できません。かくいう私もそうでした。

 宇宙空間には、物事を進化発展する方向へ進めていこうとする流れが偏在していて、それは一瞬たりとも休むことなく、すべての生きとし生けるものを進化発展する方向へ進めていこうとしている。
 そうした宇宙に流れている意志とは、すべてのものを慈しみ、すべてのものを愛し、すべてのものを良くしてあげたいという思いであり、自分だけが良くなろうという利己的な意志の対極にあるものです。


 ですから我々は、こうした宇宙に偏在する森羅万象あらゆるものを一方的に良くしてあげたいという愛の流れと調和する、同調する心を持っていなければならないのです。
 他人を蹴落としてでも、足を引っ張ってでも自分は得をしたいと思うような心では、宇宙の意志とは調和せず、人生はうまくいかないでしょう。
 逆に、心が宇宙の意志と調和するような愛に満ちていれば、人生は順調にいくはずです。こうした愛に満ちた心を持つためには、「心を高める」ということが必要になります。


 自分のことを第一に考えずに、みんなが良くなるようにするだけで、果たして人生がうまくいくのだろうかと疑問に思われるかもしれません。もちろん、何もただ他人に尽くしてさえいればいいということではないのです。
 必死で生きている動植物と同様、生きている限り、我々も誰にも負けない努力を続けなければなりません。自分で自分を助けなければ、他に誰も助けてくれる者はないのだという思いで懸命に働くのです。

 相手との勝ち負け、つまり、相手を打ち負かすために働くのではなく、自分自身が生きていくために必死で働く。
 自分に余裕があって、周りのお手伝いもしてあげられるなら、それはそれで素晴らしいことなのですが、まずは自分が一生懸命に働き、自分の職務を立派に果たすということが大切です。

 ですから宇宙の流れに乗ってと言ったからといって、「自分の仕事はせずに、人様のために人助けばかりしていたらいい」ということでは決してありません。人助けは立派なことですが、その前に、必死になって誰にも負けない努力をする。
 そのときの心が他の幸福を願うような美しいものであれば、なお言うことはありません。そのような愛に満ちた心を抱き、日常を生きることで、人生はひらけていくのです。

 しかし難しいのは、「どうすれば美しい心を持てるか」ということです。実際には、私自身も含めて、なかなか持つことはできません。しかし、持てないけれども、「持とう」と思うことが大事なのです。

 ほとんどの人は、心の大切さに気づかず、心を立派にしようなどとは考えません。しかし、まずは心を高めなければならない、心を美しくしなければならないと思わなければなりません。
 なかなかそうはなれなくても、「ならなければ」と思って反省する。そうした反省があるから、努力をしようと心がける。そのことが大切なのです。
 日々の葛藤の中で自分自身を高めていく。その繰り返しこそが、人生なのではないでしょうか。
(要約)

 今日の一言には、「人を恨んだり憎んだり、自分だけが得をしようといった私利私欲の心を持つと、人生はどんどん悪くなっていく」とあります。

 自身の今までの人生を振り返ってみても、どん底だった時期は、自分が不幸な境遇にあるのをひたすら嘆き、ときには身近な誰かのせいにして恨み言をいったり、うまくいっている人を妬んだりと、非常にネガティブな日々を過ごしていたように思います。

 しかし今では、そうした暗く苦しい時期を過ごしてきたからこそ今の自分があるのであって、ひょっとすると、右肩上がりで上昇するだけの挫折のない人生よりも「良い人生」を過ごしてきたのかもしれない、と思えるようになってきました。

 まだまだ人生が終わったわけではありませんが、これからも少しでも「清らかな心」になりたいと思い続けて、精進していきたいと思っています。


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