『稲盛和夫一日一言』10/11(火)
こんにちは!
『稲盛和夫一日一言』 10/11(火)は、「みんなのために」です。
ポイント:「みんなのために」という思いから立てた事業計画や仕事はうまくいく。
2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の「私心のない判断を行う」の中で、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
何かを決めようとするときに、少しでも私心が入れば判断はくもり、その結果は間違った方向へ行ってしまいます。人はとかく、自分の利益となる方に偏った考え方をしてしまいがちです。みんなが互いに相手への思いやりを忘れ、「私」というものを真っ先に出していくと、周囲の協力も得られず、仕事がスムーズに進んでいきません。また、そうした考え方は集団のモラルを低下させ、活動能力を鈍らせることにもなります。
さらに「自分というものを無きものにして物事を考える」、もっと極端に言えば、「自分を犠牲にして物事を考える」ということが、「私心のない判断を行う」ということだと補足されています。
「動機善なりや、私心なかりしか」 この言葉は、稲盛名誉会長がDDIをつくられる際に、毎日寝言のように繰り返し唱え、自身を厳しく問い詰められた原点となった言葉です。
自分に都合のいい判断はせず、客観的に正しい判断をする。何か事が起こった場合、誰もが直観的に判断を下していますが、それは本能的なものがほとんどでしょう。しかし、本能で判断しているかぎり、どうしても自分に都合のいい判断にならざるを得ないわけです。
物事を判断するとき、自分のことをいったん棚に上げて考えてみる。損か得かとか、自分がいい目を見たい、楽をしたいといった本能的な判断をしていると、それはすぐに周囲に伝わります。
逆に、「みんなのために」という思いから出てきたプランは、多少の困難が予測されたとしても周囲の賛同が得られ、進んで協力してあげようといった機運も次第に盛り上がってきますから、時間がかかったとしてもうまくフィニッシュまで進んでいきます。
これは何も仕事のうえだけの話ではないと思います。日常生活においても、他人のことなどお構いなし、といった態度で勝手気ままに振る舞ったり、ちょっとしたことに切れて大声を上げたり暴力的な行動に出てしまう人がいます。自分に実害がなければ、「世の中、いろんな人がいるよね」ということでスルーすれば済むのかもしれませんが、自分や家族などに影響が及びそうな場合は、そんな悠長な態度では済ませられないでしょう。理不尽なことを黙って受け入れられるほど、人間は寛容な生き物ではないと思います。
何か判断したり行動を起こす前に、「ちょっと待て」と一度深呼吸をして、「本当にこれでいいのか」と自問自答してみる。そこに「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉が浮かんでくれば、少なくとも周囲に迷惑を掛けるような事態には至らないのではないでしょうか。みんなして考えていかなければならないことだと思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?