『稲盛和夫一日一言』 11月24日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11月24日(金)は、「魂の本質」です。
ポイント:誠実、謙虚、愛情、素直、やさしさ、思いやりという言葉が指し示す方向を目指していけば、魂の本質に近づくことができ、素晴らしい人生を送ることができる。
月刊『致知』2006年6月号特別講話『人は何のために生きるのか』において、人生百年時代の生き方として、魂を磨き続けるシンプルな習慣を持つことの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
人は、生まれてから20年ぐらいの時間を費やして社会に出る準備をします。そして、40年ぐらいの社会生活を経て、60歳で定年を迎えます。それからあと、最近では寿命が延びましたから80歳まで生きるとすると、20年という時間が残されています。
しからば、死を迎える準備はどうすればいいのか。私は、死とは肉体の死ではあっても、魂の死ではないと思っています。私の死というのは、私の魂が新しい旅立ちをしていくめでたい日だと思うのです。死は悲しいことではなくて、魂が新しい旅立ちをしていく嬉しい日なのです。
魂の新しい旅立ちに際して、私の魂に新しい装いをつけ、そして明るくあの世へ旅立っていく。そういうものにするために魂を美しく磨く必要があるのだと思った瞬間、私は、これこそが人生を生きる意味なのではないかと悟りました。
会社を成功させて有名になったり、お金持ちになったり、そんなことのために人生があるのではない。人生を生きる意味とは、まさに自分の魂を磨くことにある。死ぬ時に、生まれた時に持ってきた魂より少しでも美しい魂にして、新しい魂の旅立ちを迎えるためにある。このことが人生を生きてきた価値なのではないか、また目的ではないのかと気がついたのです。
この美しい魂にするとは、分かりやすく言えば、善き思いを心に抱き、善きことを実行していくことになります。魂を磨くためには、毎日毎日、そうありたいと思って自分が謙虚に反省し、自分自身を変えていく努力をしなければいけません。知識として知っていただけでは、決して魂は磨けません。
美しい思いやりに満ちた素晴らしい魂にしていこうと思えば、毎日毎日、自分にそう言い聞かせながら、「きょうの自分の思い、きょうの自分の行動は、果たしておまえが言う善きことに基づいていたか」と自分自身に問い詰めながら、自分の思いと行動を毎日のように修正をしていかなくてはいけないのではないかと思うのです。
死を迎える前に自分の魂が美しい魂になったかどうかは誰にも分からないのですが、それを検証する方法が一つだけあります。
それは何かというと、魂を美しく磨きたいと常日頃考えて行動していますと、人柄が変わってくるはずなのです。善き思いを常に心に抱き、善き行動をしておれば、性格が変わるのです。
人間というのは、ろくでもない妄想を抱くものです。私だって偉そうなことを言っていますが、妄想だらけの人間です。それを自分で「それはいかん、それはいかん」と戒めながら、正しい方向へ、正しい方向へと自分を向けていく毎日であります。
常にそういう修正をしていくと、自然にそれが魂を磨く、心を磨くという行為になっているのです。その結果として、性格、人柄が変わっていくわけです。つまり、性格に影響を及ぼさないような思いでは意味がないのです。
性格は生まれた時から一生変わらないものではありません。心の中でどういう思いを抱いているかによって、その人の性格は変わっていくものです。
だから、だんだん年を重ねるに従って、「あの人はいい人だね。若い頃とはだいぶ違っていいお人になったな」と言われたとすれば、そのことは実は、少しは美しい魂になっていった証拠なのです。人柄を見れば、魂が美しいものになったかどうかが分かるのです。(要約)
今日の一言では、「魂の本質に近づいていくためには、善きこと、つまり誠実、謙虚、愛情、素直、やさしさ、思いやりという言葉が指し示す方向を目指すべき」と説かれています。
京セラ在籍40年を経て、かつての私を知っている人からは「おまえもずいぶん、おだやかになったね~」などと冷やかされたりします。ムカッとしたとき感情が一気に高ぶってしまう悪癖はいくつになっても直りませんが、それでもいったん自分の感情を押しとどめ、次の言動を冷静に判断しようとしている自分に気づくことが増えたのは事実です。
「単に年齢を重ねるだけでは、決して魂は磨かれない。それなりの精進を積み重ねていかなければ人間性は高まっていかないのだ」と、ようやく素直に感じられる年齢になったのかな?などと思っています。
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