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『稲盛和夫一日一言』 6月13日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 6月13日(木)は、「成功という試練」です。

ポイント:「試練」とは、苦難のことだけを指すのではない。天は「成功」という試練を与えることによって、その人を試している。

 2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)「第二章 試練」の中で、成功もまた試練であるとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人の上に立つリーダーの心構えを、西郷は次のように話しています。

【遺訓四条】
 万民(ばんみん)の上に位する者、己れを慎み、品行を正しくし、驕奢(きょうしゃ)を戒め、節倹(せっけん)を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民(かみん)その勤労を気の毒に思う様ならでは、政令は行われ難し。然るに草創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾(びしょう)を抱え、蓄財を謀(はか)りなば、維新の功業は遂げられ間敷(まじき)也。今となりては、戊辰(ぼしん)の義戦も偏(ひと)えに私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目なきぞとして、頻(しき)りに涙を催(もよお)されける。

【訳】 
 多くの国民の上に立つ者は、いつも心を慎み、行いを正しくし、驕りや贅沢を戒め、無駄を省いてつつましくすることに努め、仕事に励んで人々の手本となり、一般国民がその仕事ぶりや生活を気の毒に思うくらいでなければ、政府の命令は行われにくい。
 しかし今、維新創業のときだというのに、家を贅沢にし、衣服をきらびやかに飾り、美しい妾(めかけ)を囲い、自分の財産を蓄えることばかり考えるなら、維新の本当の成果をまっとうすることはできない。今となっては、戊辰の正義の戦争も、ただ私利私欲を肥やすだけの結果となり、国に対し、また戦死者に大して面目ない、といって西郷は涙を流された。

 この話を経営に当てはめれば、「社員の上に立つ社長は、いつも自分の心を慎み、身の行いを正しくし、驕りや贅沢を戒め、無駄を省き、慎ましく生活することに努め、仕事に励んで人々の手本となり、社員たちがその仕事ぶりや生活を気の毒に思うくらいにならなければ、その命令は行われにくいものである」と解釈すればよいかと思います。

 つまるところ、「上に立つ者は率先垂範せよ」と言っているわけです。理屈ではなく、実際の現場で従業員の信頼を獲得し、リーダーシップを確立するうえで、こうした西郷の言葉はたいへん大事なことだと思います。

 昨今、創業者が持ち株を売り出して巨額の売却益を得た、といったたぐいの話が目につきます。本来、株式上場の目的は、会社を財務的に豊かにし、さらに成長させていこうというところにあるはずです。

 「自分で稼いだカネをどう使おうと自由ではないか」と言われればそうなのですが、そういう人たちも、創業のころは多くの人の助けを借り、自ら汗を流し、懸命に働いていたはずです。それが大金を手にした途端、「自分の力だけで成し遂げた」と言わんばかりの傍若無人な振る舞いを始めたりします。しかし、一時の成功は成功の持続を約束したものではありません。

 中国の古典に、「謙のみ福を受く」という言葉があります。少しばかりの成功に酔いしれ、傲慢(ごうまん)になっていく人は、最後には自分自身の欲にはまって沈んでいく。謙虚さを忘れた経営者が舵を取る企業が、長く繁栄を続けた試しはありません。

 試練とは苦難だけをいうのではありません。成功もまた天が人に与える試練なのです。一時の幸運と成功を得たとしても、決して驕り高ぶらず、謙虚な心を失わず、努力を続けることが大切です。(要約)

 今日の一言には、「成功した結果、地位に驕り、名声に酔い、財におぼれ、努力を怠るようになっていくのか、それとも成功を糧に、さらに気高い目標を掲げ、謙虚に努力を重ねていくのかによって、その後の人生は、天と地ほどに変わってしまう」とあります。

 残念ながら、自分には胸を張れるほどの成功体験はありませんが、事業や研究開発で成功して地位が上がった途端、それまでの謙虚な姿勢が消え失せ、傲慢になっていった人たちを少なからず見てきました。

 「人は謙虚にして初めて幸福を受けることができる」

 『謙虚にして驕らず、さらに努力を』
 この信条を大切にしながら、残りの人生をでき得る限り悔いなく生きていければと思っています。


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