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『稲盛和夫一日一言』12/21 Review
こんにちは!R&P企画 emuです。
2024年8月1日より、連続投稿3年目に入りました。これを機に、しばらくは過去2年分をレビュー掲載していく予定です。
12月21日、今日の一言は『トップのつとめ』です。
社長をはじめ企業のトップに立つ者は、自分の能力を百%、企業に注入できてはじめて、社長であり、トップなのです。本当はプラベートな時間すらもとれないぐらい厳しいのがトップです。
成功を持続させる「働き方」として最も大切なことは、「無私の心で働く」ということです。
経営トップは誰からも制約されませんから、仮にいい加減な働き方をしていたとしても、任免権といった絶対権限を持っているわけですから、できないことはないと言ってもいいほどです。
なかには、公私の区別がつかなくなり、プライベートなことまで社員を使ってやらせるといった経営者もいますが、本来であれば、そのような人間として未熟な人物が経営トップなどつとめられるはずがないのです。
かって私は、社長業の要諦として、次のようなことを述べたことがあります。
第一に、社長は公私の区別を峻厳として設けることです。つまり、公私混同をしてはなりません。特に人事については、いかなる不公平もあってはなりません。
第二に、社長は企業に対する無限大の責任を持つことです。なぜなら、企業は無生物ですが、その企業に命を吹き込むのは社長であるあなたしかいないからです。躍動感に満ちた企業になるかどうかは、あなたが企業にどのくらい責任を持って自分の意志を注入しているかで決まるのです。
第三に、社長は自分が持っているすべての人格と意志を企業に注入することが必要です。
要諦はさらに続きますが、この冒頭の3カ条には、「経営者にはひとかけらも『私』、『私心』があってはならない」ということの重要性が説かれています。
そうした経営者の無私の姿勢こそが、従業員をして「この人についていこう」「この人のためなら一生懸命に働こう」と思わせるのであり、経営者自身もなんのやましい気持ちも持たずに、従業員に厳しいことも要求できるのです。
本記事を通して「京セラフィロソフィ」「稲盛経営哲学」に接することで、皆さんが少しでも毎日を活き活きと過ごされんことを願っております。