『稲盛和夫一日一言』 12月20日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 12月20日(水)は、「真の事業家」です。
ポイント:「利を求むるにも道あり」
真の実業家は、人の道を踏み外さないよう、その範囲で利益を追求する。
2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、「ビジネスにおいても利他の精神を貫く」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
バブル崩壊後、金融機関を中心に、多くの企業がいまだに経営難に陥っています。そのような企業のほとんどは、バブルのときに土地を買えば儲かる、株を買えば儲かるといった儲け話に乗せられて投資を行ったところです。
私のところにも、そのような儲け話を持ち込んできた人が何人もいました。しかし、私は「そんなうまい話があるわけがない。あったとしても、何かおかしいはずだ。額に汗することなく金が手に入るぐらいなら、皆働くのがバカらしくなり、世の中がおかしくなる。よしんばうまくいって一時的に儲かったとしても、きっとその後の私の人生は、メチャクチャになってしまうだろう」と考え、すべて断ってきました。
どれほど「こんなに儲かるんですよ」と示されても、「それは何かがおかしいはずだ。そんなやり方で社会がうまくいくはずはない」と、私は信じていたのです。
利他の心で物事を考えるようになると、周りの人がうまい話にまんまと引っかかっていく状況がよく見えるようになります。我利我利亡者(がりがりもうじゃ)が、自分だけ儲けようと思って走り回っているのが、はっきりと分かるわけです。
一人で走り出し、自分から柱にぶつかっていっては頭にコブを作る。そこに絆創膏(ばんそうこう)を貼りながら、また別の方向に向かって走り出す。「あっちに行ったらコケるぞ」と思いながら見ていると、案の定、石につまづいてズッコケる。そして、全部自分が勝手にやったことを、「そこに柱があるのが悪い」「道路の石ころが悪い」と他のせいにして、自分はちっとも悪くないと思っている。
「私はこんなに努力をしているのに、なぜうまくいかない。一体、この世の中はどうなっているのか」と文句ばかり言う。しかし、それは全部欲にかられた自分がやったことであって、そのような考え方自体がうまくいかない源なのです。
利他の心で見れば、それがよく分かります。人が持ち込んでくるいかがわしい話も、裏側まで全部見えます。そのためにも、利他の心を持つということは、大変大事なことなのです。
自分だけ良ければいいという考え方で商売を行うのではなく、周囲にとってどうなのか、取引をする相手にとってどうなのかというところまで考えて、そして、「みんなにとってそれはよいことだ」という結論に達したときに商売を成立させるよう心がけてください。(要約)
日本経済は、1991年のバブル崩壊後、「失われた30年」と呼ばれる低成長期に突入しました。その要因として、バブル崩壊に伴う大量の不良債権を抱えて返済見込みのない企業を法的に整理せず、「追い貸し」するなどして延命させた金融界の責任が取り沙汰されています。
しかし金融界にとっても、不良債権の処理に追われて、蓄えた体力を使い果す時期になったのも事実のようです。
『京セラフィロソフィを語るⅠ』の「公明正大に利益を追求する」という項で、名誉会長は次のように説かれています。
会社は利益をあげなければ成り立ちません。利益をあげることは、恥ずべきことでもなければ、人の道に反したことでもありません。
自由市場において、競争の結果で決まる価格は正しい価格であり、その価格で堂々と商いをして得られる利益は正しい利益です。厳しい価格競争のなかで合理化を進め、付加価値を高めていく努力が利益の増加を生むのです。
お客様の求めに応じて営々と努力を積み上げることをせずに、投機や不正で暴利を貪(むさぼ)り、一攫千金を夢見るような経営がまかり通る世の中にあっても、公明正大に事業を行ない、正しい利益を追求し、社会に貢献していくのが京セラの経営です。
経営者たる者、バブルに躍り、一攫千金を夢見たり、また不動産を転がしたり、あるいは不正なことをして儲けるようなことをしてはなりません。(要約)
公明正大な姿勢を貫き、真っ当な事業を通じて、正当な利益を得るための活動を続けていく。京セラ在籍40年、そうした活動を実践してきたことが、今でも私の貴重な財産となっているように感じています。