見出し画像

『稲盛和夫一日一言』10/24(月)

こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 10/24(月)は、「才能を私物化してはならない ②」です。

ポイント:天賦の才を持って生まれた人間には、天が与えてくれたリーダーとしての役割を、集団のために謙虚に行使することが求められる。

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)の中で、稲盛名誉会長は才能の私物化について、次のように述べられています。

 人生というのはまさに劇場みたいなもので、それぞれみんなが神様あるいは自然から役割を与えられていて、その中では舞台の上で主役、脇役を演じる人もいれば、舞台裏で裏方をやっていたりもぎりをやっている人もいて、各自がそれぞれ自分に与えられた役割を演じている。そうであれば、主役を演じている人が花形で人気があるということで有頂天になり、「オレがオレが」と驕り高ぶるのではなく、自分はたまたま主役を演じさせてもらっているけれども、各自がそれぞれに割り当てられた役割を演じているだけなのだと理解すべきです。

 私は、自分の才能を私物化した結果、次第に傲慢になってしまい、晩年に没落をしていかれた方々をたくさん知っています。それだけに、才能があればあるほど、「才能というものは自然から授かったものであって、その才能を世のため人のために使い、世のため人のために尽くしなさいという使命を自分は担っているのだ」と理解して、人生を間違いのないように生きていかなければなりません。(要約)

 京セラフィロソフィの中に、「仲間のために尽くす」という言葉がありますが、それは「世のため人のために尽くすことが人間として最高の行為である」という稲盛名誉会長の思いから出てきたものです。「世のため人のために尽くす」ということは、仏教で言う「利他行(りたぎょう)」にあたります。仏教では他人のために尽くすという利他の行為が大切にされています。それは、利他行を積むことが悟りへの道につながっているからです。

 「仲間のために尽くす」というと、「世のため人のために尽くす」よりも狭い範囲での利他行ということになりますが、それでも代償を求めずに行う行為であれば、立派な利他行であることに違いはありません。

 京セラでは、例えば同じ職場の仲間から会社を辞めたいという申し出があったとき、それが「世のため人のために尽くしたい」という、より広い範囲に向けた前向きな理由から出てきた行動であるならば、強引に引き留めたりせず、これまで同じ職場で頑張ってきた仲間の一人が新たな門出を迎えているのだと捉えて、みんなして気持ちよく次のステージへと送り出してあげようという風土があります。

 世のため人のため、また仲間のために尽くすということを実践し続けることは簡単なことではありませんが、参考になりそうな考え方を『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』10月22日の中から紹介します。

 私たちは「与える」という発想に慣れていません。ですから、発想を百八十度転換して「与えることが難しい人は、自分が少し損をしながら毎日を生きてみる」ことを提案します。具体的には、自分の思っている10%を目安に「損」をして生きてみるといいでしょう。(一部要約)


いいなと思ったら応援しよう!