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『稲盛和夫一日一言』 11月23日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11月23日(木)は、「最高の行為」です。

ポイント:「世のため人のために尽くす」ことは、人間として最高の行為。

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)の中で「世のため人のために尽くすことが人間として最高の行為である」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 「世のため人のために尽くす」ということは、心の中の核にある真我、つまり利他の心が発揮されるということです。こうした他の人のために尽くすことに喜びを覚える美しい心は、誰もが皆持っているものです。

 昭和59年(1984年)に稲盛財団を創設したとき、「設立趣意書」というものを書きました。私が52歳のときに書いたその趣意書は、今でも財団の精神として大切にされていて、京都賞の審査をされる大学の先生方も、審査される前には必ず設立趣意書をもう一回確認した上で、審査に当たっていただくことになっています。

 その冒頭は、「人のため、世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である」という書き出しで始まっているのですが、実はどうして私が、人間としての最高の行為が「世のため人のために尽くす」ことだと考えたのか、どこから引っ張ってきたのかは思い出せません。

 最初のころは、その趣意が大上段に振りかぶっているようで、自分でも少し面映(おもは)ゆく感じていたのですが、昨今では、それが自分はおろか一般にも受け入れられるようになりました。

 米国の倫理学の先生が書かれた本には、倫理学で善きことをするということは、一言で言えば、「世のため人のために尽くすことである」とずばり書いてあります。

 英語のLoveとは、「世のため人のために尽くす」ということです。それは、まさにあらゆるものを「与える」ということであり、何の見返りも求めないで、人に「与える」、世に「与える」ということです。
 日本語では Loveを「愛してる」と訳しますが、Loveは「与える」という意味の Giveと同義語だとされる学者の方もおられます。
 また、愛に基づく行為とは、何の代償も求めないで「与える」行為であり、それは大きなパワーを持っていると説かれている先生もおられます。

 また、そうした無償の愛を人に与えている人、実行している人には、素晴らしい人生が待ち受けているということが、心理学を専攻されている先生方の研究、調査等によって証明されているようです。
 やはり、いいことが起きるためには、「世のため人のために尽くす」という利他の心が習い性となるよう、自分をつくり上げていくことが必要ではないでしょうか。
(要約)

 稲盛財団のホームページには、財団設立の経緯が次のように紹介されています。

 稲盛財団の設立者である稲盛和夫は、病を患った少年時代、またその後の進学や就職の際に多くの方々に助けられた経験から、人間一人では何もなしえないことを実感し、人間の本源とは何か、また人間はいかに生きるべきかを若い頃から深く考えるようになりました。
 
 1959年に京セラを設立した後も、稲盛は経営者として様々な困難や試練に遭遇し、悩み苦しむなかで、再び、人間としていかに生きるべきかを常に自分に問いかけていました。そして「人のため、世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である」との信念を持つに至り、生涯にわたってこれを実践すべきであると確信しました。

 稲盛は、いろいろな機関や団体から賞をいただく栄誉に恵まれたことをきっかけに、かねてからの「人のため、世のために尽す」という人生観を具現化するため、約200億円相当の私財を拠出し、1984年に稲盛財団を設立、翌年より事業を始めております。

 稲盛は「この財団活動を通じて、人類の進歩発展に貢献できれば、私自身を、そして京セラを今日まで育ててくださった地域社会をはじめ、日本、世界全体に対して多少なりとも恩返しができるのではないか」と語っています。(転載)

 「自分のことだけで精いっぱいで、とても他人や世の中のことまで構っていられない」という方も少なくないとは思いますが、何かしら他の人が喜んでくれることをしたとき、ふっと笑顔が浮かんでくるのは、やはりそこに人間の本質があるからでしょう。

 人間として正しいことを正しいままに行う。利他の心を習い性にする。日々実践していきたい心構えではないでしょうか。


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