『稲盛和夫一日一言』 7月14日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 7月14日(日)は、「ど真剣に生きる」です。
ポイント:自然界では、すべての生物が与えられた時間、限られた一瞬一瞬を、精いっぱいど真剣に生きている。私たち人間も、一日一日をないがしろにすることなく、ど真剣に生きていかなくてはならない。
1998年8月、第7回盛和塾全国大会での塾長講話(タイトル『京セラフィロソフィをひもとく No.11』の中で、一日一日をど真剣に生きることの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
人生はドラマであり、一人一人がその主人公です。そこでどういうドラマの脚本を描くかです。
運命のままにもてあそばれていく人生もあるかも知れませんが、自分の心、精神というものをつくっていくことによって、また変えていくことによって、思いどおりに書いた脚本で思いどおりの主人公を演じることもできるのです。
人生というのは、自分の描き方一つです。ボケッとして生きた人と、ど真剣に生きた人とでは、脚本の内容はまるで違ってきます。
自分というものを大事にし、一日一日、一瞬一瞬をど真剣に生きていくことによって、人生はガラッと変わっていくのです。
たった一回しかない人生を、漠然と無意味に過ごすことぐらいもったいないことはありません。天地自然は、この宇宙の中で必要だったからこそ、我々を存在させていると、私は考えています。
誰も皆、決して偶然にこの自然界に生を享けたわけではないのです。この宇宙の中で、我々が存在する必然性があったからこそ、今存在している。この宇宙にとって自分は必要な存在なのだと、まずは信じるべきであろうと思います。
大宇宙という大きな規模で見た場合、一人の人間の存在など、本当に無視できる、また存在してもしなくても何の影響もないほど、小さな小さな存在なのかもしれません。しかし、決してそうではありません。
いかに大宇宙の中であろうとも、我々それぞれが、この宇宙の中に存在する必要性があり、必然性があったからこそ、宇宙は我々の存在を認めている。そのくらい価値のある偉大なものが、我々の人生なのです。
その偉大な価値ある人生を、漠然と無為に過ごすぐらいもったいないことはありません。その人生の中で、一日一日をどのくらい真剣に生きるか。それが我々の価値をつくっていくもとだと、私は思っています。
毎日毎日うだるような暑さの中で、我々は暑い暑いと不平をこぼしていますけれども、先日テレビを見ていましたら、北極圏のツンドラ地帯で、その短い夏の間に、小さな北極圏にだけある植物が一斉に芽を吹いていました。
短い、短い夏です。その間に小さな花をいっぱい咲かせ、種を宿し、極寒の北極圏を生き抜こうとして、わずかな短い夏を精いっぱいに生きている。
また、アフリカの砂漠でも、年に一回や二回は雨が降ります。その雨が降った直後、すぐに植物が芽を出し、花を咲かせます。そして、本当に短い一週間、二週間という間だけ命を永らえ、種を宿し、来年雨が降るまで、熱砂の中で耐えて生き延びていこうとしている。
自然界の生物は、すべてそのくらいど真剣に一日一日を生きているわけです。
それを見ただけでも、我々人間も一日一日をないがしろにすることなく、ど真剣に生きていかなければならないと思えるはずです。それが我々と宇宙との、また創造主との約束事なのではないでしょうか。
だからこそ私は、誰にも負けない努力をしていっていいはずだと思っているわけです。(要約)
2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)「有意注意で判断力を磨く」の項で、日常の些細なことにも真剣に注意を向ける習慣を身につけることの大切さについて、名誉会長は次のように説かれています。
私たちはどんなときでも、どんな環境でも、どんな些細なことであっても、気を込めて取り組まなければなりません。
それは最初は非常に難しいことのようにみえますが、日ごろから意識的に続けていると、それが習慣になっていきます。そこまでいけば、あらゆる状況下で気を込めて現象を見つめるという基本ができていますから、何か問題が起きたとしても、すぐにその核心をつかみ、解決できるようになるのです。
物事をただ漠然とやるのではなく、日常のどんな些細なことに対しても真剣に注意を向ける、そうした習慣を身につけなければなりません。(要約)
「一日一日をど真剣に生きる」
「有意注意で判断力を磨く」
「Don't sleep through life!(ボーっと生きてんじゃねーよ!)」
いずれも、毎朝リセットが必要な心構えではないでしょうか。
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