『稲盛和夫一日一言』 11月21日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11月21日(火)は、「やさしくなければ」です。
ポイント:人は強いだけの経営者に魅力を感じない。強さの中に秘められたやさしさがあってこそ、魅力あふれる、誰からも慕われる経営者になれる。
2022年発刊の『経営のこころ 会社を伸ばすリーダーシップ』(稲盛和夫述 稲盛ライブラリー編 PHP研究所)の「叱り、叱られる、素晴らしい人間関係」という項で、リーダーに必要なものとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
部下がミスをしたり、いい加減な仕事をしたときは、即座に、その場で厳しく注意すべきです。マネジメント関連の指南書などには「みんなの面前で叱れば、部下のプライドを傷つけ自信を失わせますから、注意をするなら、別室に呼んで、諄々と過ちを正すようにしましょう」と書かれています。
しかし、そんな生半可なことで仕事ができるわけがありません。確かにそういう厳しいことを他人の面前で言った場合、本人がいたく傷つくことはあり得るでしょう。しかし、それは注意をする上司と、注意される部下との人間関係の問題なのです。
私は以前から厳しく指導をするものですから、その分、コンパ等を通じて一杯飲んだりするときには、上下の関係がないくらいに親しく話をしています。そうして人間関係ができ、信頼関係ができていることによって、私が厳しく叱ったのは、問題を起こしたことに対してであって、その人間の人格を否定したわけではないということを理解してもらえます。
かねてから、上司と部下との素晴らしい人間関係ができており、お互いに信頼し、理解し合えてさえいれば、現場で直接厳しく叱って教えるべきなのです。
なかなか厳しく部下を叱れない上司がいますが、それでは指導者は務まりません。厳しく叱るのはかわいそうだという気持ちが先行してしまうのでしょうが、やはり上司としては失格だろうと思います。
それは別の見方をすれば、お互いが不十分だからと欠点を認め合い、傷をなめ合って事を進めていく生き方です。自分が厳しい生き方ができないものだから、なあなあで部下を許してしまう。
しかし、「厳しい」という意味を間違えてはいけません。よく、上司だからと威張っている人がいますが、それはとんでもないことです。部下が間違っているから、おかしいから叱るのであって、職制が上だから、自分は叱る立場にあるから、ということではないのです。上司はそのことを心して、自らに厳しくなければなりません。
If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive. (強くなければ生きていけない。しかし、優しくなければ生きていく資格がない。 レイモンド・チャンドラー)
もともとは優しい人間でなければ生きていく資格がないのであって、そうした優しさを秘めた人間が強くなければ、生きていくことはできない、と言いう意味の言葉です。
リーダーには、優しさを内に秘めた強さというものが必要なのだと、私は思っています。(要約)
今日の一言で説かれているのは、「自分にも部下にも厳しい上司であれ! しかしそのベースには、人間としての優しさが不可欠であり、双方向での人間関係、信頼関係ができていることが重要」ということかと思います。
職場内の人間関係で悩んでいる人も少なくないと思いますが、部下のほうから上司を選べる職場は、ほとんど皆無に等しいでしょうから、上司の立場にあるリーダー、経営者のほうが変わるのが最も効率的かと思います。
「叱り、叱られる、素晴らしい人間関係」
ちなみに、京セラ在籍40年の間、私も多くの上司にしこたま叱られてきましたが、なぜか褒め上手な上司には一人も巡り合いませんでした。しかし、その点に関してはまったく残念だとは思っていません。
それは、上司からの厳しくも温かい叱責、指導があったればこそ、今の自分があるのだ、という自覚が持てているからです。
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