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『稲盛和夫一日一言』 6月29日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 6月29日(土)は、「リーダーの使命」です。

ポイント:指導的立場にあるリーダーと呼ばれる人々は、自らの言動が少しでも人間として恥ずべきところがないか、常に厳しく自問自答しなければならない。

 1996年発刊の『成功への情熱 ーPASSIONー 』(稲盛和夫著 PHP研究所)の中で、リーダーのあるべき姿のひとつとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 リーダーは、常に謙虚でなければなりません。
 権力や支配力を持つと、往々にして人間のモラルは低下し、傲岸不遜(ごうがんふそん)になってしまいます。このようなリーダーの下では、集団はたとえ一時的に成功したとしても、長い間にわたって成長発展していくことはできず、いつかメンバー相互の協力も得られなくなってしまいます。

 残念なことに、今日の社会は自己中心的になりつつあります。うっかりしていると、私たちの判断基準もそうした社会の傾向を反映しかねません。謙虚な気持ちを失うと、無益で非生産的な対立が生じるものです。

 この対極にあるのが、「相手があるから自分もある」という日本古来の考え方です。昔の日本人は、自分は全体の一部であると認識していたのです。
 こうした考え方は、今でも集団の調和を守り、協調を図ることができる唯一の考え方だと私は思っています。
 すべての物事には二面性がある、そのことを認識して、その両面を見極めていくことが必要です。

 運命をともにする集団の一員であるという意識を生み出すためには、リーダーは、部下がいてはじめて自分がリーダーとして存在しているのだという、謙虚な姿勢を持つべきです。
 常に謙虚なリーダーだけが、協調性のある集団を築き、その集団を調和のとれた永続的な成功へと導くことができるのです。
(要約)

 一方同著の中で、「リーダーよ、創造的であれ」として、リーダーに求められるものについて、名誉会長は次のように説かれています。

 リーダーは、常に創造的な心を持っていなければなりません。部下には常に新しい何かを求め、想像していくという考え方を植えつけていくべきです。

 それは、クリエイティブな考え方を常に集団に導入していかなければ、その集団の持続的な進歩、発展は望めないからです。リーダーが現在のあり方に満足していれば、その集団も現状に満足してしまい、さらにはいつか退歩さえをももたらしてしまうからです。このようなタイプのリーダーが存在するとしたら、それは集団にとって最も悲しむべきことです。

 創造というものは、意識を集中し、潜在意識を働かせて、深く考え続けるという苦しみの中からようやく生まれるものです。決して単なる思いつきや生半可な考えから得られるものではありません。
 自分の心の中でじっくりと考えを練らずに、突然ひらめきが湧くのをあてにしていてはならないのです。

 創造的な心とは、持続した強い願望を追求し続けることです。リーダーは、目標を達成するために考え続け、苦しまなければなりません。新しいものは、のたうち回るような努力の中から生まれるのです。(要約)

 今日の一言には、「あらゆる分野で、リーダーと呼ばれる人たちが先頭に立ち、人間として正しいことを追求していく。そうすることで、社会全体のモラルが向上し、健全な社会が築かれていくはずです」とあります。

 昨今、さまざまな分野でリーダーと呼ばれる人たちがその本分を全うしているとはとても信じ難い事件、不祥事が相次いで報道されています。
 国や地域の代表を選出すべき選挙活動ひとつとっても、今までの社会通念からは想像もできないような奇手奇策が横行し、法規制だけではとても対応しきれず、後手後手のその場しのぎを強いられているのが現状です。

 社会全体がモラル低下、非健全化に向かいつつある現代社会に対して、少なからず危機感を抱いているのは私だけではないと思います。

 一人一人が「人間として何が正しいのか」を自問自答しながら、謙虚な気持ちを持って生きていく。
 自分にできることは限られているかもしれませんが、一人でも多くの人がそうした気持ちを持って生きていくことができるよう、残りの人生、もう少しあがいてみたいと思っています。


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