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『稲盛和夫一日一言』 2月19日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2月19日(月)は、「インスピレーションの源 ①」です。

ポイント:真にクリエイティブなインスピレーションは、神からの啓示を願うほどの切羽詰まった状況、そして謙虚で真摯な態度からしか生まれてこない。

 1983年、「(社)日本青年会議所 第32回北海道地区会員大会」における講演の中で、創造とは哲学の領域であるとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。 ※稲盛デジタル図書館より引用

 独創、つまり人に先駆けて考えるときには、それは誰も知らないわけですから、「そうではないかと思う」だけなのです。そして、この「思う」という領域というのは、「哲学」なのです。哲学の領域にあるものが解き明かされて、万人が理解ができたときに、初めて「サイエンス」「科学」になる。

 サイエンス、科学というのは難しいことではなく、みんなが知り得て、みんなが再現できることですから、それは常識なのです。ですから、常識でやっているかぎりは、独創というものはできないということです。
 
 それは企業経営においても同様です。自分の仕事に全身全霊を打ち込んでいく中でひらめきが生まれてきます。それは創造に近いものです。
 事業でも経営でも研究でも、思い悩み、苦しんでいる。そのように全身全霊をあげて打ち込んでいるときにひらめくインスピレーション、つまり直感、霊感が、創造につながっていくわけです。

 苦労をしていない状態でひらめくのは、単なるアイデアに過ぎません。アイデアぐらいでは、決してうまくいきませんし、いいものもできません。
 苦しみ、悩み、のたうち回る中で、ある瞬間にひらめくインスピレーション、それが創造というものにつながっていくのです。

 創造的であるためには、人のまね、つまりいろいろなことを勉強し、常識の寄せ集めで経営をするのではなく、今日私が申し上げたような、人間の本質的なものを導き出した考え方を事業に応用し、一生懸命打ち込んでいく。
 さらには、そこから出てくる自分なりの考え方のようなものを加えて仕事をしていかれるということが、一番大事ではなかろうかと思います。また、それが創造なのです。
 そうすることで、苦労はしますが、あなたにしかできない素晴らしいユニークな企業が生まれてきてもおかしくないと思っています。
(要約)

 今日の一言には、「真にクリエイティブなインスピレーションは、困難に真正面から取り組んでいるところからしか生まれてこない」とあります。

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)の中で、「必死に考えている者に天はひらめきを与える」として、名誉会長は次のように説かれています。

 強烈な願望を抱いた以上、その願望を寝ても覚めても思い続け、あらゆることを想定しながらその願望を達成するためにどうするべきかを考えなければなりません。その中で生まれてくる「ひらめき」は、自分自身の考えというより、あまりに必死に考えているので、それに対して神仏が与えてくれた霊感としか思えないものです。

 強烈な願望を抱いて、どうしてもそうしたいと思って、必死で考え抜いていくことで、自分自身の才能を超えたもの、つまり、ひらめき、インスピレーション、神のささやき、霊感、そうしたものが次から次へと起こってくるのかもしれません。

 そういう意味で、私はシミュレーションを繰り返している間に、いろいろなヒントやひらめきを与えていただきました。それは、苦しみ考え抜いているときに、暗闇に差す一筋の光明のようなものでした。

 私は、宇宙には「知恵の蔵」というものがあるのではなかろうかと思っています。ただし、その「知恵の蔵」から素晴らしいアイデアや知恵を与えていただくためには、その扉が開くほど、人一倍真面目に一生懸命悩み苦しんでいなければなりません。
 そうすれば、素晴らしいアイデア、知恵を授かり、新しいことを成し遂げていくことができるのではないかと思うのです。
(要約)

 これは、「強烈な願望を抱き、理知的に考え尽くす」という京セラフィロソフィの項目について紐解かれた際にお話しされた内容です。

 「何かを成そうとするときには、心の底からほとばしり出てくるような、強烈な願望を持つことが大切」

 「できたらいいな」という程度では、とても「強烈な願望」というレベルには届きません。何かを成そうとするときには、自らの心の中に強烈なまでの願望をかき立て、同時に徹底したシミュレーションを繰り返して、具体的な施策にまで落とし込むといった作業が不可欠だと思います。
 しかし、最後の最後に一歩踏み出すかどうかの決め手となるのは、「何としても成し遂げたい」という思いの強さなのではないでしょうか。


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