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『稲盛和夫一日一言』2/18(土)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2/18(土)は、「誰にも負けない努力」です。

ポイント:みんなが等しく努力している中にあっては、人並の努力はただの当たり前でしかない。「誰にも負けない努力」とは、終点を設けず、先へ先へと設定されるゴールを果たしなく追いかける、無限に続く努力のこと。

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)の中の、「六つの精進ー1 誰にも負けない努力をする」の項で、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 誰にも負けない努力をするということは、一生懸命に努力をするということにほかなりません。

 自然界を見ればわかるように、動物でも植物でも、命のある限り、精一杯一生懸命生きていないものはありません。その中で、人間だけが邪(よこしま)な考えを持ち、楽をしたり、暇な時間を過ごしたりして生きていますが、自然界ではあらゆる存在が一生懸命に生きているのです。

 道ばたの雑草を見ても、お互いが競い合うように生きていますが、彼らは決して周囲の雑草を打ち負かすために生きているわけではなく、自身が生き抜いていくために一生懸命になっているだけだと思います。
 自然界とは、必死に一生懸命に生きていかなければ、生き残っていくことさえ許されないほど厳しいものであり、それが自然界の掟(おきて)なのだと、私は思っています。

 しかし我々人間は、「一生懸命に生きる」、「誰にも負けない努力をする」というと、なにか特別なことのように感じてしまいますが、決してそうではありません。「一生懸命に生きる」ということは、自然の摂理なのです。

 「一生懸命に生きる」という、自然界にとって当たり前のことを当たり前のこととして捉え、命ある限り「誰にも負けない努力」を続けていくことが大切です。(要約)

 「頑張って仕事をしていますか?」と質問されて、「それなりに」とか、「人並に」などと答えてしまってはいないでしょうか。
 また、「これだけは頑張っているけど、他のことはあんまり」などと限定的に答える人もいるかもしれません。

 今日の一言では、「人並以上の誰にも負けない努力を続けていかなければ、大きな成果など期待することはできないでしょう」とあります。

 「自分は特に大きな成果など望んでいないから、人並でOK」と考える人もおられるでしょうが、その人並みの努力を続けていただけでは生きていくことさえ厳しい、という現実があるのもまた事実です。

 1990年代以降、日本においても「国民が安定かつ安全な生活をおくるには社会的セーフティーネットの整備が重要」との認識が強まり、法的な整備等が進められてきてはいますが、「自分の行動の結果として危機に陥ったのなら自分で責任を負うべきであり、他人に助けを求めるべきではない。生活が苦しいのはその人が選択してきた人生のせいだ」といった「自己責任論」があるのもこれまた事実です。

 現代を生きる我々には、豊かな環境が拡がっていて、さまざまな選択肢も与えられています。その中で、なお必死に生きていこうと誰にも負けない努力を続けることが、自身や周囲の人たちの素晴らしい人生へとつながっていくのではないでしょうか。


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