『稲盛和夫一日一言』 1月3日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 1月3日(水)は、「経営者の要件」です。
ポイント:哲学者が持つような素晴らしい思想を持ち、かつ元禄武士が身につけていたような素晴らしい心根を持ち、そのうえ小俗吏が発揮したような才能と、土百姓の頑健さを備えていなければ、立派な経営者にはなれない。
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします!
2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)「人生を考える」の項で、福沢諭吉の言葉を示して、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
福沢諭吉は、事業家のあるべき姿について、次のように表現しています。
思想の深遠なるは哲学者のごとく、
心術(しんじゅつ)の高尚正直なるは元禄武士のごとくにして、
これに加うるに小俗吏(しょうぞくり)の才をもってし、
さらにこれに加うるに土百姓(どびゃくしょう)の身体をもってして、
はじめて実業社会の大人(たいじん)たるべし
哲学者のごとくとは、深い思想の持主であること。また、元禄武士のごとくとは、武士が忠と義に生きたように、高尚で正直な心根を持っていること。
小俗吏というのは、賄賂(わいろ)のやりとりをしたり、悪いことをして権力を誇示していた明治新政府の下っ端役人、俗物役人を指しますが、そういう悪賢(わるがしこ)いとも言える才能を持っていること。小賢(こざか)しいから悪さをするのであって、それぐらいの頭の切れは持っていなければならないということです。
さらにこれに加えて、土百姓のような丈夫な身体を持って初めて「実業社会の大人たるべし」、つまり、実業界で立派な経営者だと言われる人物になれると喝破(かっぱ)しているわけです。
福沢諭吉のこの言葉は、実は人生方程式と同じことを言っています。
土百姓の身体、つまり頑健な身体は、誰にも負けない努力をする「熱意」にあたります。小俗吏の持つ、放っておけば悪さをしかねない才能、経営でいうところの商才は「能力」にあたります。
そして、「考え方」にあたるのが、「思想の深遠なるは哲学者のごとく、心術の高尚正直なるは元禄武士のごとくにして」という部分です。
哲学者が持つような素晴らしい思想を持ち、かつ元禄武士が持っていたような素晴らしい心根を持っていなければ、実業社会における大人にはなれません。福沢諭吉の言葉からも、人生方程式の「考え方」「熱意」「能力」の三つの要素がたいへん大事なのだと、私は改めて思いました。(要約)
ここで紹介されている言葉は、十九世紀後半、日本が近代の夜明けを迎えつつあるとき、実学的な教育の大切さを唱えた福沢諭吉が、青雲の志を抱く学生たちに向かって、理想の経済人の姿について語ったものです。ちなみにに、「心術」には「心の持ち方、心ばえ」といった意味があります。
この言葉は、経営者に限定されたものではなく、リーダーシップを発揮しなければならない立場にある人すべてに必要とされる条件を、端的に表現したものではないでしょうか。
集団を率いるリーダーにとっては、どんな考え方をしても自由だということは決してありえません。リーダーには、集団を幸せにし、また社会を豊かなものにするために、「思想の深遠なるは哲学者のごとく、心術の高尚正直なるは元禄武士のごとくにして」といった考え方を持つ義務があるはずです。
ある大学のシンポジウムにおいて、名誉会長は「一国を導いていく宰相は、とりわけ素晴らしい考え方を持ち、高潔な人格を備えている人でなければ、亡国の事態にもなりかねない」と話されています。
果たして、現在の日本にそのような資質を備えた政治家は存在しているのでしょうか。内閣支持率の低下に歯止めがかからない現状を見るにつけ、新年にあたって日本に明るい未来展望を示せる人材がいないことに嘆いているのは私だけではないと思います。
年初にあたり、改めて「考え方」の大切さを再認識し、日々反省を繰り返しながら、我が身を正していかなければと思うばかりです。