『稲盛和夫一日一言』 3月26日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 3月26日(火)は、「製品の語りかける声に耳を傾ける」です。
ポイント:愛情を持って、謙虚な目で製品をじっと観察することで、神の声にも似た「製品の泣き声」が必ず聞こえてくる。それは、製品のほうから、問題解決の糸口をささやきかけてくれるようなもの。
2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)「製品の語りかける声に耳を傾ける」の項で、あるがままの姿を謙虚に観察することの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
問題が発生したときや、仕事に行き詰まったときには、その対象となるものや事象を、真剣に謙虚に観察し続けることです。
例えば、製造現場では、あらゆる手を尽くしても歩留りが思ったように向上せず、壁にぶちあたることがよくあります。そんなときには、製品や機械、原材料、治工具にいたるまで、工程全体をすみずみまで観察し、素直な眼で現象をじっと見つめ直すことです。
不良品や整備が悪い機械があれば、その泣き声が聞こえてくるはずです。製品そのものが、解決のヒントを語りかけてくれるのです。
先入観や偏見を持つことなく、あるがままの姿を謙虚に観察することが大切です。
私はよく現場に出てはその場に座り込み、自分のルーペで一生懸命に製品を見ていました。ルーペでよく見えないときは、顕微鏡を使って一時間でも観察していました。
そうすると、そのうちに製品がまるで人であるかのように思えてくるのです。そして、製品に欠けを見つけたら、この子(製品)はどこでケガをした(欠けた)のだろう」と、実際の工程を思い浮かべながら推測していくわけです。
製品の歩留り向上は、まず製品をじっくり観察することから始まります。そうすると、どこでケガをしたのか、どこが痛いのか、製品が語りかけてくれます。その言葉に従って、工程のどの部分に問題があるのかを突き止めていくわけです。
ここでは、「製品が語りかける」といった擬人法を使いましたが、事実、そのような心境になるぐらい真剣に製品を見つめることが大切なのです。
また製造現場では、機械が異常な音を出していることがあります。私はそれを「機械が泣いている」と言ってきました。
機械というものは、正常に稼働していても何かしらの音がしています。ところが、新品を買って試運転で動かしたときは心地よい音を発していたのに、使っているうちに急に大きな異音を発するようになることがあります。
それは、機械に異常が発生しているからです。
それなのに、機械の動きそのものは変わっていないからと、異音を無視して稼働し続けているといったケースがあります。私はそれが大問題だとして、現場の社員に厳しく注意してきました。
そうした異常に気づくことができるかどうかは、そこで働いている人間の感度の問題です。そうした感度を高めておくことは、危険を予知するうえでも非常に大事なことだと思っています。
また私には、整理整頓と清掃を口やかましく言うきらいがありました。
例えば事務所の机でも、「机はスクエアなのだから、物を置くときは辺に平行に置かなければバランスが取れずに気分が悪いでしょう。四角いところには四角であるように辺を揃えて置きなさい」と指導してきました。
そうしたものは「調和の感覚」なのです。四角い机のうえに物がバラバラに置かれているのを見て、それに違和感を覚えないようでは、よい製品というものを理解することもできなければ、作ることもできないはずです。
机のうえに置いてあるものがバランスを失っている、非常に嫌な感じがして落ち着かない。そうした感覚を持っているからこそ、現場でも「何かがおかしい」と気づくことができるのです。
調和がとれていないものをおかしいとも思わないような感覚では、不良や異常を見つけられるわけがありません。
そうしたこともたいへん大切なことだと思っています。(要約)
私も京セラに入社してからずっと、何か問題が起こるたびに「すぐに現場に行ったか?」「もう現物は見たか?」と問われ、また自身も問い続けてきました。まさに、「答えは現場現物にある」「現場は宝の山」ということです。
伊藤謙介元京セラ会長(京セラ創業メンバー)からは、『現場最大・机上(きじょう)最小』という言葉で指導いただきました。
「机上での仕事も必要ではあるが、まずは現場に足を運び、直接ものをつくっている人と対話し、自分の目で現場の状況を確認すること。
現場にできるだけ長くいて、現場を素直な目で見て、少しの変化も見逃さないようにする。現場現物をつぶさに見ていれば真の原因がわかり、問題解決の糸口も見つけられるはず。常にそうした姿勢を忘れてはならない」という教えです。
京セラを退職した今も、何かしら収まりの悪い状況を見かけると、スルーできずについつい定位置に直している自分がいるのに気づきます。
今後とも、「調和の感覚」を失うことなく生きていければと思っています。