『稲盛和夫一日一言』 5月30日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5月30日(木)は、「仕事をする人の完成」です。
ポイント:ラテン語に「仕事の完成よりも、仕事をする人の完成」という言葉がある。その人格の完成もまた仕事を通じてなされるもの。哲学は懸命の汗から生じ、心は日々の労働の中で錬磨されていく。
1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす ー素晴らしい人生をおくるためにー』(稲盛和夫著 PHP研究所)「可能性を信じる」の項で、自分の可能性、仕事の可能性を信じることの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
仕事という修羅場の中で、新しいことを成し遂げられる人は、信じることができる人です。
信じることで生まれた光が、向こうに見えているから、追い続けることができるのです。そのため、難関を突破できないのは、「自分の技量が足らないからだ、自分の努力が足らないからだ」と謙虚に反省をし、唯一の希望の光を目指して、一生懸命努力をするのです。
独創的な世界であればあるほど、従事する本人が、「これはやれる」と信じているかどうかが問われてきます。証明する何ものも存在しないとき、心の中に信じられるもの、つまり光を持っていなければ、さまざまな障害や難関が待ち受けている独創への道のりに挫折してしまうことでしょう。
信じるものがあれば、その道をひたすらに歩み続け、一生かかっても追い続けるはずです。流行に惑わされることなく、ひたすらにテーマに身をささげている、そうすると、ものごとはいつか実を結ぶものです。
人間にとって、信じるということは非常に大切なことです。自分の可能性、仕事の可能性を信じることができなければなりません。(要約)
「仕事をする人の完成」を目指す上で必要なものとして、「可能性を信じる」ことと同時に、名誉会長は「精進」を挙げられています。
2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、「日々の労働によって心は磨かれる」として、名誉会長は次のように説かれています。
六波羅蜜(ろくはらみつ)の六つの修養のうち、私たちが暮らしの中で最も実践しやすく、また心を高める方途として一番基本的かつ重要な要件は、「精進」、つまり努力を惜しまず、一生懸命働くことです。
言い換えれば、私たちが自分の人間性を向上させたいと思ったとき、そこに難しい修行などは必要ありません。ただふだんの暮らしの中で、自分に与えられた役割、あるいは自分が行うべき営為を、それが会社の業務であろうと、家事であろうと、勉学であろうと、粛々と倦(う)まず弛(たゆ)まず継続していくこと。それがそのまま人格錬磨のための修行となるのです。
すなわち、日々の労働の中にこそ、心を磨き、高め、少しでも悟りの境地に近づく道が存在しているということです。
例えば、宮大工の棟梁のように、一つの職業、一つの分野に自分を一生を定め、その中で長く地道な労働を営々と重ね、おのれの技量と人間性を磨いてきた方がおられます。
努力を惜しむことなく、辛苦を重ねながら、懸命に一筋の道を究める。そのような精進によって、あの人たちが辿り着いた心の高みや人格の奥深さに、何かすごみのようなものさえ感じるのは私だけではないはずです。
改めて、働くという営みの尊さを思わないわけにはいきません。「悟りは日々の労働の中にある」ということを、つくづく実感させられるのです。
地道な精進無くして、名人といわれるような域に達した人はいません。私たちが自分の仕事を心から好きになり、誰にも負けない努力を払い、精魂込めてその仕事に取り組む。
ただそのことだけを通じて、私たちは生きることの意味や価値を学び、心を磨き、人格を練り上げて、人生の真理を体得することができるのです。(要約)
日々の暮らしを通じて、特に社会人になってからは仕事を通じて自身の成長を実感してこられた方も多いと思います。
新社会人のころには想像もできなかった、業務遂行能力の向上はもちろんのこと、組織を引っ張っていくリーダーシップや仲間や部下を束ねるマネジメント能力といったものも、その多くは営為、広い意味での仕事を通じて獲得してきたはずです。
今日の一言にもあるように、仕事を通じて求められるべき大切なことは、「仕事の完成よりも、仕事をする人の完成」だと思います。
自分が一人の単なる「人材」にとどまってるのか、あるいはより大きな社会において「人財」と認められるような精進を継続してこれたのかどうか。
日々反省を繰り返す中で、誰にも欠かすことのできないチェックポイントなのではないでしょうか。