『稲盛和夫一日一言』4/30(日)
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 4/30(日)は、「完全主義を習い性とする」です。
ポイント:自らに完全主義を課すことはたいへんつらいことだが、それが習い性となれば、苦もなくできるようになる。日々の習慣にしていくことが必要。
2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、完全主義を貫くことの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
私は、若いころから「完全主義を貫く」ということをモットーとしてきました。完全主義を貫く、またはパーフェクトでなければならないというのは、私自身の性格であると同時に、長年「ものづくり」に従事してきた経験から出てきたものです。
例えば、セラミックスの製造工程では、まず何種類かの原材料を混合し、それを成形して高温の焼成炉で焼結させます。焼き上がった仕掛かり品を、さらに研磨加工したり、あるいは金属と接合したりして最終の製品に仕上げていくのですが、製品が完成するまでの長い工程の中でひとつでも失敗があると、それは不良品になってしまいます。同時に、それまでにつぎ込んだ材料代から加工賃、電気代といったあらゆるリソースがすべてムダになってしまいます。
つまり、わずかなミスであっても、それまでの努力がすべて水泡に帰してしまう。そうしたことを、ものづくりに従事している人間は経験しているわけです。気の休まる間もないくらい完全主義を貫き、常にパーフェクトを狙っていかなければならない。それがものづくりの世界なのです。
工程の一つひとつがすべて完全に行われることで、理想とする製品が作られます。それをちょっとした不注意で失敗してしまえば、製品がダメになって会社に損害を与えるだけでなく、それが納期遅れにつながったりすると、お客様にまで大変な迷惑や損失を与えてしまうことになるわけです。
実際にそうした辛酸をなめてきたからこそ、わずかなミスでも命取りになることがあるのだということで、京セラでは完全主義を旨として今日までやってきているのです。(要約)
今日の一言には、「完全主義を自分に課し、毎日を生きることはたいへんつらいことだ。しかし、それが習い性になれば、苦もなくできるようになる」とあります。
私も京セラ入社以来、長年セラミックスの研究開発・製造技術を担当して、ちょっとしたミスでそれまでの努力がすべてパーになる、という経験をいやというほど繰り返してきました。
実際にはミスとはいえないようなちょっとした判断のブレであっても、そのために不良品を頻発させてしまったという苦い経験もありました。
しかし、キャリアを重ねるほどに、「完全主義を習い性にする」ということをさほど負荷を感じることなく実践できるようになっていったと思います。(あくまでも、限定的にではありますが・・・)
一旦、そうしたことが習い性になってしまうと、無意識に行動していても、ちょっとしたところに違和感を感じて、立ち止まれるようになります。
メンバーとミーティングをしていても、「そこ、ちょっとおかしいよね。もう一度見直してみようか」といった言葉が出てくるようになります。
また、何度か経験したプロセスであっても、事前に経験知以上のアラームが鳴って、「今回は、特にここに注意して実施してみようか」といった行動を取ることでトラブルを未然に回避することができた、といったこともありました。
名誉会長はよく「習い性」という言葉を使われていますが、それは潜在意識に浸透してしまうほど繰り返し顕在意識に訴えることで、特に意識しない状況下であっても事前にアラームが発動してくれる、そのような状態になるまで習慣化させること、だと私は理解しています。
「有意注意」で「完全主義を貫く」。そんな脳がクタクタになりそうなことなどやりたくもないわと言わずに、日々の習慣になる、まさに「習い性」になるまで続けてみてはいかがでしょうか。きっと、あなたの人生にも良い影響が出てくると思いますよ!