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『稲盛和夫一日一言』 4月18日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 4月18日(木)は、「無私」です。

ポイント:人を動かす原動力は、ただ一つ、公平無私ということ。

 2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲翁の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)「第一章 無私」の冒頭、『南洲翁遺訓』との出会いについて、稲盛名誉会長は次のように話されています。

 私が西郷の遺訓に出合ったのは、京セラを創業して十数年ほど経ったときのことです。会社は急成長していましたし、株式を上場することもできました。しかし、私は内心、不安でたまりませんでした。

 重大な経営判断を誤れば、いつ何時、倒産の危機に瀕するか分かりません。倒産すれば、従業員やその家族を路頭に迷わせてしまいます。また、上場後は新たに株主への責任が生じます。
 そのような会社をとりまく人たちに迷惑をかけることは絶対にあってはならないと、私は無我夢中で仕事をしていました。

 そんなある日、年配の紳士が訪ねてこられました。聞けば、山形県の地方銀行の頭取をなさった方で、顧問に退かれてから西郷の教えを伝承する「荘内南洲会」を運営されているとのこと。その方がわざわざ『南洲翁遺訓』を私に届けてくださったのです。

 会社経営で苦労し、悩みも多かったときです。子どもの頃から敬愛する西郷の遺訓に吸い込まれるようにして、その一条を読み始めました。

【遺訓一条】
 廟堂(びょうどう)に立ちて大政(たいせい)を為すは天道を行うものなれば、些(ち)とも私(わたくし)を挟みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操(と)り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能(よ)くその職に任(た)ゆる人を挙げて政柄(へいせい)を執らしむるは、即ち天意也。それゆえ真に賢人と認むる以上は、直ちに我が職を譲る程ならでは叶わぬものぞ。故に何程国家に勲労ある共、その職に任えぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官はその人を選びてこれを授け、功ある者には俸禄(ほうろく)を以て賞し、これを愛し置くものぞと申さるるに付き、然らば『尚書(しょうしょ)』(書経)仲虺(ちゅうい)之誥(こう)に「徳懋(さか)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」とこれあり、徳と官と相配(あいはい)し、功と賞と相対するはこの義にて候いしやと請問(せいもん)せしに、翁欣然(きんぜん)として、その通りぞと申されき。

【訳】
 政府にあって国の政(まつりごと)をするということは、天地自然の道を行うことであるから、たとえわずかであっても私心を差し挟んではならない。だからどんなことがあっても心を公平に堅く持ち、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実にたえることのできる人に政権を執らせることこそ天意、すなわち神の心にかなうものである。だから、ほんとうに賢明で適任だと認める人がいたら、すぐにでも自分の職を譲るくらいでなければならない。従って、どんなに国に功績があっても、その職務に不適任な人に官職を与えてほめるのは善くないことの第一である。官職というものはその人をよく選んで授けるべきで、功績のある人には俸給を与えて賞し、これを愛しおくのがよい、と翁が申されるので、それでは尚書(中国で最も古い経典、書経)仲虺(殷の湯王の賢相)の誥(官吏の任命する辞令書)の中に「徳の高いものには官位を上げ、功績の多いものには褒賞を厚くする」というのがありますが、徳と官職とを適切に配合し、功績と褒賞がうまく対応するというのはこの意味でしょうかとたずねたところ、翁はたいへん喜ばれて、まったくその通りだと答えられた。

 『西郷南洲翁遺訓』の冒頭を飾る一条は、組織の長をつとめる者にとって、まさに羅針盤となるべきものです。
 西郷は政治を例に挙げて言及していますが、これは大企業の経営者であれ、中小企業の経営者であれ、さらにはどんな小さな組織のリーダーであれ、トップに立つ者はこういう心構えでなければならないということを示しています。

 リーダーたる者、いささかの私心もはさんではならないと、徹底的に利己を否定する西郷に、私は身震いさえ覚えました。なぜなら、私も当時は、完全には割り切ることができていなかったからです。

 しかし、この遺訓に出合って、私はまるで西郷に背中を押してもらったかのように感じました。
 トップに立つ人間には、いささかの私心も許されない。基本的には個人という立場はあり得ないのです。なぜなら、トップの私心が露わになったとき、その組織はダメになってしまうからです。

 常に会社に思いを馳せることができるような人、いわば自己犠牲を厭わないでできるような人でなければ、トップになってはならないということを、西郷の教えにより、私は確信するようになりましたし、その後は一切迷くことなく、自分の人生のすべてを経営にかけることができました。

 「無私」の姿勢を貫き通すことは、一見非情だと思われるかもしれませんが、多くの人の上に立ち、集団を統率していくためには、何としても身に付けなくてはならない、リーダーの条件であると私は考え、それを自分に課してきたのです。(要約)

 1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす』(稲盛和夫著 PHP研究所)「無私の心が人を動かす」の項の中で、名誉会長は次のように説かれています。

 リーダーの指示ひとつで、部下の士気も上がれば、部下が苦しむことにもなります。それなのに、自分の都合によって指示をしたり、ものごとを決めたり、感情的になったのでは誰もついてきません。
 リーダーは、まず自らの立つべき位置を明確にすべきです。そして、私利私欲から脱却した、自分の集団のために、というような大義に、自らの座標軸を置くべきです。
(要約)

 人を動かす原動力は、ただ一つ「公平無私」。
 生きていくうえで、肝に銘じておくべき一言ではないでしょうか。


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