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『稲盛和夫一日一言』 6月17日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 6月17日(月)は、「ただ謙のみ福を受く」です。

ポイント:内に燃えるような情熱を秘めてはいるが、あくまでも謙虚で誠実な人こそが、天祐もあり、大成をしていく。

 中国漢代 に官学とされた 儒学 における 経書 の総称「五経」(=『易経(えききょう)』『書経』『詩経』『礼記(らいき)』『春秋(しゅんじゅう)』)の一つ『易経』に次のような言葉があります。

 「惟谦受福」
 
(ただ謙のみ福を受く)
「謙虚な人だけが幸福を受けることができる」という意味です。

 また『書経』の中にも、次のような言葉があります。
 「満招損 謙受益 時乃天道」
 (満は損を招き 謙は益を受く これすなわち天の道なり)

 満は慢心、謙は謙虚です。自分の地位や権力をかさにきて相手をねじ伏せるような態度、自分の能力に増長し人を見下すような態度、教えてやるといった上から目線の態度など、それらはすべて満(慢心)に他ならない。そうした尊大な性格の人は周囲からの反発を受け、避けられてしまう。かつ自分自身、今以上の進歩・向上は望めないであろう。

 一方、こちらが謙虚な態度であれば、かえって他の人から慕われ、周囲の支援を集めることもできる。特に力のある者、上司や能力のある人物が謙虚な態度に徹すれば、そのメリットは最大限に生かされるであろう。それが天の道理である、といった意味です。

 国内でも、鎌倉時代に書かれた『平家物語』の冒頭の名文は、教科書にも掲載されるなど広く世の中に知られています。

【原文】
 祇園精舍(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
 娑羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす。
 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
 猛(たけ)き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵(ちり)に同じ。

 遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高(ちょうこう)、漢の王莽
(おうもう)、梁の朱忌(しゅい)、唐の祿山(ろくさん)、
 これらは皆旧主先皇の政にも従はず、楽しみをきはめ、諌めをも
 思ひ入れず、天下の乱れん事を悟らずして、民間の愁ふるところを
 知らざりしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。

 近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、
 平治の信頼、これらはおごれる心も猛きことも、皆とりどりにこそ
 ありしかども、ま近くは、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と
 申しし人のありさま、伝えへ承るこそ、心もことばも及ばれね。

【現代語訳】
 祇園精舎の鐘の音には、諸行無常(=全ての現象は刻々に変化して
 同じ状態ではないこと)を示す響きがある。
 (釈迦入滅の時、枯れて白くなったという)沙羅双樹の花の色は、
 盛んな者も必ず衰えるという道理を表している。
 権勢を誇っている人も長くは続かない、まるで春の夜の夢のように
 はかないものである。勇ましく猛々しい者も結局は滅んでしまう、
 全く風の前の塵と同じである。

 遠く中国にその例を尋ね求めると、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、
 唐の祿山、これらは皆もと仕えていた主君や先の皇帝の統治にも
 従わず、楽しみの限りを尽くし、他人の諌言をも心にとどめず、
 天下が乱れるであろうことを悟らないで、人民の嘆くところを
 理解しなかったので、まもなく滅びてしまった者たちである。

 近くわが国の例を調べてみると、承平の平将門、天慶の藤原純友、
 康和の源義親、平治の藤原信頼、これらは思い上がった心も猛々しい
 ことも、皆それぞれはなはだしかったけれども、最近の例は、六波羅の
 入道こと前太政大臣 平朝臣清盛公と申しあげた人の様子は、伝えお聞き
 するにつけても、想像することも言葉で表現することも出来ないひどい
 ありさまである。
(要約)

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)「常に謙虚であらねばならない」の項で、稲盛名誉会長は次のように説かれています。

 世の中が豊かになるにつれて、自己中心的な価値観を持ち、自己主張の強い人が増えてきたと言われています。しかし、この考え方ではエゴとエゴの争いが生じ、チームワークを必要とする仕事などできるはずはありません。

 自分の能力やわずかな成功を鼻にかけ、傲岸不遜(ごうがんふそん)になるようなことがあると、周囲の人たちの協力が得られないばかりか、自分自身の成長の妨げにもなります。

 集団のベクトルを合わせ、良い雰囲気を保ちながら最も高い効率で職場を運営していくためには、みんながいるから自分が存在できているのだという認識のもと、常に謙虚な姿勢を持ち続けることが大切なのです。(要約)

 今日の一言には、「ただ謙のみ福を受く、おれは世間一般に信じられていることとは相容れない。通常は、たとえ傲岸不遜であっても、大胆不敵に生きていくような人が成功すると考えられているが、決してそうではない。そのような人は、一時的には成功を収めたとしても、いつか没落をしていくものだ」とあります。

 まさに先に紹介した古文に込められている通りの教えだと思います。

 「謙虚にして驕らず、さらに努力を」 
 この信条を忘れることなく、これからも生きていければと思っています。


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