『稲盛和夫一日一言』 5月18日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5月18日(土)は、「答えは現場にある」です。
ポイント:答えは常に現場にある。しかしその答えを得るためには、仕事に対する誰にも負けない情熱や、深い思い入れを持つことが必要。
2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、現場には課題解決のためのヒントがたくさん転がっているとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
創業十数年を経過したころ、京セラはアメリカのサンディエゴで初の海外生産を開始しました。現地の企業が持っていた工場を買い取り、日本から数人の技術者を送り込んで操業を始めたのですが、最初のうちは問題も多く、なかなかうまくいきませんでした。
私も幾度か現地に飛び、現場を見に行ったものです。ところがそんな私に、アメリカ人の工場長がいつもこう言うわけです。
「あなたは現場に来ては作業者の横で一緒に仕事をしておられますが、そんなことをされては困ります。日本の親会社のトップ、それもオーナー経営者が、作業服みたいなものを着ては現場に出て、一介の作業者の仕事を手伝うなど、考えられないことです。
トップとしてもっと他に仕事があるはずなのに、時給数ドル程度の作業者と同じ仕事をしているのを見れば、その程度の仕事しかできないのか、それともただ遊んでいるのか、そのどちらにしか見えません。
英語も堪能ではないのですから、現場に出れば、『英語もできない』と従業員から軽蔑されるでしょう。それは今後仕事をしていくうえで支障となっていくはずです。もし現場について知りたいのなら、我々に言ってくだされば、現場の者を連れていって説明させますから、あなたは部屋から出ないでいただきたい」。
その言葉に、私は憤然としてこう言い返しました。
「何を言うのだ! 私はこれまで現場を重視してやってきた。何と言われようとも、私は現場に出ていくぞ!」
私が現場を見ているうちに気づいたことは、その工場長が、現場を見ることなく、提出されたデータをそのままホストコンピュータに入力して生産を管理している、ということでした。
彼は、「キーを叩けばモニターで全データを見ることができるのだから、現場に行く必要などない」と言い張るわけです。私は「自分で現場に行って見てみろ!ここに入っているデータがいかにデタラメなものなのかよく分かるはずだ!」と彼を叱りつけました。
これはひとつの例ですが、ものづくりのみならず、生産管理にしても、現場を知らなければ成立しないのです。やはり、現場を見なければなりません。現場から学ぶことはたくさんあります。これはあらゆる業種に通じることだと思います。
先般、弁護士の中坊公平さんにお目にかかったときのことです。
「先生が素晴らしい仕事をされる、その秘訣は何ですか?」とお尋ねしたところ、「それは現場主義です。私はすべて現場から教わるのです。現場には必ず解決の鍵があります」とおっしゃったのを聞いて、職種は違えども同じなのだと、改めてそう思いました。
理論だけでなく、現場を理解したうえで仕事を進めることが大事なのです。(要約)
「現場主義に徹する」という京セラフィロソフィの項で、名誉会長は次のように説かれています。
ものづくりの原点は製造現場にあります。営業の原点はお客様との接点にあります。
何か問題が発生したとき、まず何よりもその現場に立ち戻ることが必要です。現場を離れて机上でいくら理論や理屈をこねくりまわしてみても、決して問題解決にはなりません。
よく「現場は宝の山である」と言われますが、現場には問題を解くための鍵となる生の情報が隠されています。絶えず現場に足を運ぶことによって、問題解決の糸口はもとより、生産性や品質の向上、新規受注などにつながる思わぬヒントを見つけ出すことができるのです。
これは、製造や営業に限らず、すべての部門にあてはまることです。(要約)
よく刑事もののTVドラマなどで、「現場百回」という言葉が使われます。
刑事は解決のきっかけやヒントとなるものを見つけようと、自分たちの五感を信じて、繰り返し情報源である事件現場を訪れます。そこには確かに犯人が残した痕跡があるはずで、そうしたものは現場でしか感じることのできないものなのでしょう。
しかし、いくら現場に出向いても、ただボーっと眺めているだけでは何も感じ取ることはできません。「何としても解決したい」という「誰にも負けない強い情熱や深い思い入れ」を持って臨むことが必要です。
そうしたことが習い性にまでなれば、まさに現場は『宝の山』と化すのではないでしょうか。