『稲盛和夫一日一言』 6/25(日)
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 6/25(日)は、「ひたすら善意に」です。
ポイント:物事を悪いほうに悪意に受け取ると、人生はどんどん暗くなる。相手が悪意を持って何かをしかけてこようとも、一切気にせず、ニコニコと受け流すか笑い飛ばしていればいい。
1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす ー素晴らしい人生をおくるためにー』(稲盛和夫著 PHP研究所)の中で、物事を善に見る習慣をつけることの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
正しい判断を行うには、正しい認識がなされていなければなりません。しかし、この正しく認識するということが非常に難しいのです。
なぜなら、現象というのは、ただ一つの事実でしかないのですが、決して絶対的な事実だけが存在しているわけではないのです。なぜなら、観察者の視点によって左右されてしまうからです。
その現象を観察する人の心のフィルタを通して見る、つまり見る人の主観によって左右されますから、ただ一つしかない事実が善にも悪にもなるということを、私たちは日常経験しています。
例えば、ここに全力で働いている人がいるとします。その人をたった一回の人生を真面目に人一倍働いて、一生懸命に生きようとしていると見るならば、善かもしれません。しかし、家族や自分の健康も顧みず、遊びも知らず、ガムシャラに働くだけという意味ならば、悪だと見ることもできるわけです。
どちらかが正しいというものではありません。両方とも誤っているのかもしれません。どうせ本人の主観に左右されるならば、物事を善に見ていく習慣をつけるべきだ、と私は考えています。
否定的なものの見方は、自己の成長や問題の解決をもたらしませんが、次元の高い心に基準を求めた認識や判断は、必ずや良き結果をもたらすはずだからです。(要約)
今日の一言には、「物事をいいほうに善意に解釈をしていくことが大切です。悪いほうに悪意に受け取っては、人生はどんどん暗くなります。仮に相手が自分に対して悪意を持って何かをしかけようとも、あの人はバカじゃないかと疑われるくらい、ニコニコしながら受け流せばいいのです」とあります。
この背景には、「善きことを思い、善きことを実行すれば、運命はよい方向へと変えていくことができる」という考え方があります。
「善き心」とは、心の中に悪しき心と同居している利他の心であり、世のため人のためという美しい思いやりに満ちた優しい心のことです。
一方、「悪しき心」とは、利己的な心から発した、自分さえよければいいという、自分の欲望が果たせなければ怒り、満たされなければ不平不満を鳴らし、自分が他人よりも得をすれば喜ぶ、そうした卑しい心のことです。
善き心から発した思いを実行すれば、運命は良い方向へ、悪しき心から発した思いを実行すれば、運命は悪い方向へと変わっていきます。
えげつない利己的な心を抑え、自分の心の片隅にある、美しいおもいやりに満ちた利他の心を発現させていくには、繰り返し反省を続けていくしかありません。
名誉会長は、フィロソフィの紐解きの中で、次のように話されています。
常日ごろより、反省をする人なのか、そうでない人なのかによって、その人の人生が決まってくるといっても過言ではありません。反省をしないような人は進歩向上していきません。人生や仕事で進歩向上していくことができる人とは、必ず反省のある毎日を続けている人なのです。(要約)
悪しき心を抑え、善き心を伸ばすようにしていく。今後とも、ひたすら善意に物事を見ることで、悪しき心の発現を抑え、少しでも善き心が拡がっていくよう、反省ある日々を送っていければと願っています。