『稲盛和夫一日一言』 10月20日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 10月20日(金)は、「両刃(もろは)の剣(つるぎ)」です。
ポイント:闘争心や勝ち気、負けん気などといったものは両刃の剣となる。そうしたものがなければ会社は発展しないが、過剰になってしまえば会社を破綻させてしまう。成功と失敗の原因は同じと理解しておくべき。
2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、「正剣を抜いたら成功、邪剣を抜いたら墓穴を掘る」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
私たちは日々さまざまな事柄について判断を迫られています。そんなとき瞬間的に出てきた判断は、おおむね本能(欲望)から出てくるものですから、まずは出てきた最初の判断をいったん保留し「ちょっと待てよ」とひと呼吸置く。そして、「今出てきた思いには、おのれの欲が働いていないか、私心が混じってはいないか」と自問する。
最終判断を下す前に、そうした「理性で考える」というワンクッションを入れるようにすると、より正しい判断を行うことができるようになります。
私心を抑えるということは、利他の心に近づくということです。そうした自分よりも他者の利を優先するという心は、人間の持つすべての徳のうちで最善のものである、と私は思っています。
世のため人のためというきれいな心をベースとした思い、願望は必ず成就します。それが「最上の思い」であるがゆえに、「最良の結果」がもたらされるのです。逆に、私利私欲に基づいた「濁った願望」は、いったんは実現できても、一時的な成功で終わってしまう。なぜなら、それが「邪剣」を抜いたことになるからです。
社長は正義の剣と邪悪の剣の二つの剣を持っています。このうち、「正剣」を抜いたときは、たしかにことごとく成功するが、「邪剣」を抜いたときは、ことごとくうまくいかない。
つまり、社長には神がついていて、「正剣」を抜いたときは神が加勢してくれますが、「邪剣」を抜いたときは神がそっぽを向いてしまう。
私たちが何事かをなそうと必死で願い、一生懸命努力する。その願望が自分の利や欲を離れたきれいなものであれば、それは必ず実現し、また永続すします。それは、あたかも宇宙の創造主が自分の背中を押してくれているかのように感じられることさえあるものです。
私心を含まず、きれいな心で思う。そうした思いをもって「正剣」を抜くことが、物事を成就させ、人生を豊かなものにしてくれるのです。(要約)
2022年発刊の『経営12ヵ条 経営者として貫くべきこと』(稲盛和夫著 日経BP/日本経済新聞出版)の「第8条:燃える闘魂 経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要」の項で、名誉会長は次のように述べられています。
経営にも、格闘技などの世界で必要とされる「闘魂」が不可欠である、と私は考えています。人がよすぎてケンカもしたことがないなどという人は、早い時期に社長の座をもっと闘争心のある人に譲るべきです。
経営者であるあらば、「絶対に負けるものか」という激しい思いが不可欠なのです。(要約)
しかし、闘争心は野放図に出せばいいというものではありません。出すべきところでは出し、そうではないところでは抑える。闘争心をコントロールすることも重要です。
また闘争心には、対外的にだけではなく、自分自身に打ち克つための闘志、といった側面もあるように思います。
本能(欲望)のままに闘争心をむき出しに行動して道を踏み外してしまうことのないよう、闘争心を制御することのできる美しくきれいな心を羅針盤に、まっすぐに正しい方向へと歩んでいきたいものです。