『稲盛和夫一日一言』2/27(月)
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2/27(月)は、「利を求むるに道あり、利を散ずるに道あり」です。
ポイント:利益を追求するにあたっては、人間として守るべき道理がある。また、正当な方法によって得られた利益であっても、その使い途(みち)は道理に沿ったものでなければならない。
2022年発刊の『経営のこころ』(稲盛和夫述 稲盛ライブラリー編 PHP研究所)の「利他を実践する」の項で、「財を散ずるに道あり」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
私は、経営の要諦とは、経営者自身が常に心を磨き、心を高め、「人間として正しいことを貫く」ことであると考え、その実践に努めてきました。
その結果、徒手空拳で創業した京セラは想像もできないくらいの発展を遂げ、やがて上場を果たしました。またその結果として、創業者である私は、図らずも大きな資産を得ることになりました。
しかし、元来仕事一途に打ち込んできた私は、人々から資産家と呼ばれるようになってからも、そうした意識を持つこともなく、庶民的な生活を送ることで十分満足を感じていました。そして、自分に与えられた資産については、社会からお預かりしたものであると考えてきました。
そのような思いをより強固なものにしてくれたのが、若いときに学び始めた仏教でした。長ずるに従い、次第にブッダの教えに強くひかれるようになり、本をひもときながら、また禅のご老師の指導を受けながら、ブッダが説く「利他」という思想の大切さを確信するようになりました。
「利他」とは、「他によかれかし」と願う慈悲の心、キリスト教でいう愛の心であり、言い換えれば「世のため人のために尽くす」ことなのですが、私はそのような行為こそが、人間として最高の行為であると考えるようになったのです。
またそうした教えを得たころから、「利を求むるに道あり」とともに、「財を散ずるに道あり」、つまり財産を使うにも正しい考え方と正しい方法があると考えるようになりました。
つまり資産とは、自分自身の欲望や快楽のために使うものではなく、「世のため人のため」に使うべきものだと考えるようになったのです。
そのようなことから、「利他」を実践することを固く誓うようになった私は、五十歳代になってから積極的に社会貢献事業に取り組んでいきました。(要約)
名誉会長が取り組まれた社会貢献活動には、「盛和塾」による若手経営者の育成、第二電電の設立に伴う通信事業への参画、その後の通信事業の自由化ならびに情報通信化社会到来への貢献、また稲盛財団の設立を機に創設された顕彰事業「京都賞」などがありますが、それらはすべて「世のため人のため」ということが動機となっています。
各事業のスケールがあまりに大きすぎて、私には想像もできない領域ではありますが、たとえ正当な手段、方法によって得られた利益であっても、その使い途は道理に沿ったものでなければならない、ということだけは誰もが理解できるのではないでしょうか。
「利を求むるに道あり、利を散ずるに道あり」
利益を追求する、また散財するいずれの場合も、「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」、「お天道(てんとう)様はお見通し」です。
厳粛で嘘や悪を逃さない天道には、誰も逆らうことはできません。悪事は必ず白日のもとにさらされ、最後には天罰、報いを受けることになるのだ、ということを肝に銘じ、今後とも真っ当な生き方を貫いていきたいと思っています。