
『稲盛和夫一日一言』 5月27日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5月27日(月)は、「感性的な悩みをしない ①」です。
ポイント:感性的、感覚的なことで悩んだり、ふさぎ込んではいけない。そんなことより精進に努めること。そうすれば、必ず魂は磨かれ、心は高まり、運命は開かれていく。
2009年発刊の『働き方』(稲盛和夫著 三笠書房)「感性的な悩みをしない」の項で、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
人生では、ときに失敗してしまうことがあります。そのようなときも、決してクヨクヨと感性的な悩みをしてはなりません。
「覆水(ふくすい)盆に返らず」と言うように、一度こぼした水は決して元へは戻りません。「なんであんなことをしたのだろう。あんなことをしなければよかった」と、いつまでも悩んでみたところで詮無(せんな)いことです。思い煩う必要など一切ありません。
失敗した原因をよく考え、厳しく自省をしなければなりません。しかし、十分に反省をしたのであれば、後は忘れてしまうことです。
人生でも仕事でも、いつまでもクヨクヨと思い悩むことは、「百害あって一利なし」です。十分に反省した後は、新しい目標に向かって、明るく希望を持って、行動を起こしていけばいいのです。
近年、日本では自殺をする人が毎年三万人を超えています。その多くが感性的な悩みが原因となっているのではないでしょうか。
たしかに、人生にはいろんな悩みがつきまといます。しかし、たとえ生きてはいられないと思うような重大なことが起ころうとも、決していつまでも心を煩わせてはなりません。
感性的な心の悩みを払拭し、明るく前向きに新しい方向へ新しい行動を起こしていくのです。これは、人生を生きていくうえでたいへん大事なことです。
人間は失敗、間違いを繰り返しながら成長していくものです。
失敗してもいいのです。失敗をしたら、反省をし、そして新しい行動へと移る。そのような人は、たとえどんな窮地に陥ろうとも、後に必ず成功を遂げていくことができるのです。(要約)
2010年発刊の『六つの精進』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、「感性的な悩みをしないとは、意味のない心労を重ねることをやめること」だとして、名誉会長は次のように説かれています。
起きてしまったことはどうしようもありません。キッパリとあきらめ、新しいことに打ち込んでいくことが肝要です。
例えば、何かスキャンダルに巻き込まれ、道徳的にも法律的にも追及され、本人はもとより親兄弟、周囲の人たちにまでたいへんな迷惑をかけるというような大失敗をしたとしても、なぜそういうことになったのかを十分に反省し、「今後一切そういうことはすまい、今後は心を入れ替えて努力していこう」と心に誓えばいいのです。
不名誉なスキャンダルに襲われ、身も心もズタズタになるくらいに心を悩ませ、挙句の果てには自殺をしてしまう人がいますが、いつまでもクヨクヨと失敗に心を悩ませ、心を暗くしていくことはやめたほうがいい。
そのような不祥事を招いたのは、過去の自分自身が犯した罪、つまり業(ごう)があったからで、その業が、いま結果として非難という形となって出てきているわけです。
十分な反省、また二度とそういう不祥事は起こさないという決意はしなければなりませんが、いつまでもクヨクヨと心配する必要はありません。逆に、うち萎(しお)れている自分を励まし、立ち直っていけるようにしていくことが大切です。
どんな不名誉なことがあっても、勇気をもって真正面から受け止め、立ち直っていかなければなりません。いつまでもクヨクヨと悩まず、反省したら、勇気を奮い起こして新しいことに打ち込むことが大切なのです。(要約)
今までの人生を振り返ってみると、自殺まで考えた経験はないものの、とんでもない失敗をしでかして、周囲に顔向けできないとひどく落ち込んで眠れない日々を過ごしたことがありました。そのときは、なかなか気持ちの整理がつけられず、ずいぶん暗い顔をしていたように思います。
その後、名誉会長のフィロソフィ講話を通じて、「災難にあったときは、自分が過去に犯した罪、穢(けが)れ、業、つまりカルマが結果として出てきたのであって、命までとられず、思い悩むぐらいで済んだのであれば、むしろお祝いをしなければならない」という仏教の教えを知りました。
そして、「そうなんだ!心配事や悩みが起こるのは、自身の過去の業が結果として出てきたのであって、それによって溜まっていた業は消えたのだ」と妙に納得している自分に気づき、ほっとした気持ちになったのを覚えています。
そうした考え方は「単なる気休めなんじゃないの?」と懐疑的な見方をする方もおられるとは思いますが、「信じる者は救われる」で、そうとらえることで、心が平穏になるのであれば、それはそれでよしということだと思っています。
生きている限り、『日々精進』あるのみです。