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運命の輪part.4 学級通信『Sagittarius』vol.36 2021.6.11発行

 前号では私にとって激動の2014年のお話でした。この2014年は担任した生徒を卒業させ,新しく募集企画部に配属になり,奥さんが妊娠し,父にガンが見つかるという目が回るような1年でした。さて,今日は私の父のお話です。
 私の父は広島出身で,京都の染め物会社で働いていました。父も理系で工場で化学染料を担当していたそうです。そんな父ですが,私の子どもの頃の記憶では,ほとんど家にいなかったんじゃないかなって思います。
 私も社会人になり,子ができて父になり,そんな中で振り返ると,父の本当にすごいところがわかってきました。というのも,私の記憶の中で,父の愚痴や仕事への不満なんてのを聞いたことがありません。本当に我慢強く,仕事人間の父だったんでしょう。
 2014年,そんな父にガンが見つかりました。そこから病巣はなかなか見つからなかったものの,とうとう肺とその近くのリンパ節が病巣であるということがわかり,抗がん剤による闘病が始まります。
 髪の毛も抜け落ち(もともと少なかったけどww),吐き気もひどく,かなりしんどい闘病生活だったと後に母から聞きました。
 しかし,そんな闘病生活においても,私は父から,「しんどい」とか「苦しい」とか,ネガティブな言葉は1回も聞いたことがありませんでした。そんな父に,唯一できた親孝行は,産まれたなっちゃんを抱っこしてもらえたことだと,今でも思っています。
 そんな父から,唯一聞かれた弱音がありました。それは,2015年,闘病末期の事です。父は勤めていた会社を退職し,すべての仕事を後任に引き継いで,いよいよ余命わずかというタイミングでした。
 「ワシの命と奈月の命は入れ替えやったのう」
 この一瞬,私は,どう返事をするか本当に迷いました。そして,絞り出した言葉,
 「そんな弱気な事,言いないな。そのうちよくなるよ」
 それは,一生懸命のウソでした。
  私はこの時知っていました。父の余命がもう少ないことを。そして,この返事をしたことが正解だったのか,これは今でも本当に悩んでいます。
 父はおそらく,自分の余命がないことを感じていたはずです。だから,私は父に,
 「そうやな,お父さんとなっちゃんは入れ替わりやったな。お父さんのおかげで,なっちゃんはこの世に生を受けたよ。」
って言ってあげた方が優しかったのかもしれませんね。今でもその時の父の表情をよく思い出します。
 そして,2015年,なっちゃんが1歳と少しの時,父は68歳で他界しました。苦しい闘病生活だったことでしょう。でも本当に立派な父でした。
 そんなとき,私はというと,仕事は慣れない,子どもは生まれる,父は闘病で,母は看病でヘトヘト,こんなストレス強度が高い生活で,精神的にかなり参ってしまいます。
 その中でも感じたことがありました。それは“命のバトン”“運命の輪”です。
 なっちゃんが産まれたこと,それは父から命のバトンが引き継がれたってことなんだ,そして,担任の生徒を卒業させた年に子どもが生まれたことも,その学年の1年目にケータ君の誕生にかかわったことも,運命の輪の中にあったんだということを,今でも強く感じます。
 次回,この運命の輪はまだ続き,キミたちに繋がっていくってお話です。 

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