スカルラッティ:バレエ音楽「上機嫌な婦人たち」(トマジーニによる管弦楽編)
00:00 I. Presto
01:52 II. Allegro
05:04 III. Allegro
08:09 IV. Andante
11:57 V. Presto
イーゴリ・マルケヴィチ指揮
フィルハーモニア管弦楽団
1954年5月13日録音
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ジュゼッペ・ドメニコ・スカルラッティ(Giuseppe Domenico Scarlatti, 1685年10月26日 - 1757年7月23日)は、イタリアのナポリ出身で、スペインのマドリードで没した作曲家。現在では、もっぱら民族色豊かな鍵盤語法が繰り広げられる多数のチェンバロのためのソナタとチェンバロのための練習曲集によって知られる。
略歴
Essercizi per gravicembalo (1738)
1685年、ドメニコは有名な作曲家であるアレッサンドロ・スカルラッティの子として、ナポリに生まれた。10人兄弟の6番目の子だった。スカルラッティ家はバッハ家やクープラン家と同様の音楽家の一族だった。1701年にナポリの教会付き作曲家兼オルガン奏者に15歳で就任した。父の命令によって1705年にヴェネツィアに移ったが、ここでスカルラッティが何をしたかは伝わっていない。1709年からはローマに住み、同地に当時亡命していたポーランド王妃マリー・カジミールの音楽監督(maestro di cappella)の職を得た。また、サン・ピエトロ大聖堂のジュリア礼拝堂で働き、1714年末に音楽監督のトンマーゾ・バイが没すると、その後を引き継いだ。
ローマ時代にはヘンデルとチェンバロおよびオルガンの腕前を競い合ったという逸話がある。チェンバロの勝負においては二人の差はなかったが、オルガンの勝負では明らかにヘンデルが勝っており、スカルラッティもそれを認めたという。しかしこの逸話を証明できる資料は存在しない。
1714年にポルトガル大使のフォンテス侯爵と知り合ったことが機縁で、1719年ポルトガル王ジョアン5世はスカルラッティを王室礼拝堂の音楽監督に任命した。スカルラッティは1719年11月29日にリスボンに到着した。彼はまた王の兄弟であるドン・アントニオおよびマリア・マグダレーナ・バルバラ王女に音楽を教えた。
1728年、スカルラッティはイタリアで16歳のマリア・カタリーナ・ジェンティリと結婚した。
1729年にマリア・バルバラがスペイン王家の王太子フェルナンドに嫁いだため、マドリードへ移った。
1738年、ジョアン5世はスカルラッティをサンティアゴ騎士団の騎士に叙した。スカルラッティは最初のソナタ集である「Essercizi per gravicembalo」(チェンバロ練習曲集、30曲。K.1-30)を出版し、ジョアン5世に献呈した[2]。スカルラッティの名声はこの曲集によってヨーロッパ中に広がった。最終曲が有名な「猫のフーガ」である。
フェルナンドは1746年にスペイン王フェルナンド6世として即位し、マリア・バルバラは王妃になった。スペインの宮廷ではファリネッリを中心としてイタリア・オペラが盛んになったが、スカルラッティはオペラの作曲には加わらなかった。
1757年にマドリードで没した。小惑星6480 Scarlattiは彼にちなんで1988年に命名された。
作品
スカルラッティは鍵盤作品の作曲者として有名であるが、これ以外のジャンル(歌劇や宗教曲など)も遺している。同時代の作曲家と同様に散逸作品が多く、真作の判定が難しいものがある。
歌劇
王位回復したオッタヴィア(33曲のアリアのみ現存)
イレーネ(33曲のアリアのみ現存)
シーロのテティーデ(最後の4ページ消失)
ハムレット
捨てられたディドーネ
管弦楽曲
17のシンフォニア
チェンバロ作品
540曲のソナタ (カルロ・グランテの見解。ドメニコ・スカルラッティのソナタ一覧も参照のこと。)
チェンバロのための練習曲集(英語版)
ファンダンゴニ短調(フランス語版)
校訂版
スカルラッティの鍵盤作品を整理する作品番号は6種類ある。19世紀に編纂したカール・チェルニーによる番号(Cz.)、20世紀初頭にアレッサンドロ・ロンゴ(英語版)によってつけられたロンゴ番号(L.)、1953年のラルフ・カークパトリックの著書によるカークパトリック番号(K. または Kk.)、1967年のジョルジョ・ペステッリ(英語版)の著書によるペステッリ番号(P.)、音楽学者で鍵盤楽器奏者のエミリア・ファディーニ(イタリア語版)がつけたファディーニ番号(F.)、そしてMatthew Flannery番号である。かつてはロンゴ番号が広く使われたが、現在最も多く使われているのはカークパトリック番号である。
現時点でスカルラッティがどのくらいの鍵盤曲を完成させたのか詳しいことは不明で、カークパトリックが真作と認めなかったソナタも伝承の形で少なくとも15曲以上は残されている。
1839年にカール・チェルニーによって、スカルラッティ作品が写本からようやく解放され再編纂された。
20世紀はじめに、当時知られていたスカルラッティのソナタの全集がアレッサンドロ・ロンゴ(英語版)の校訂によってリコルディ社から出版された。
ラルフ・カークパトリックの1953年の著書では、ロンゴの全集が勝手に曲の順序を並べ替えている上、ピアノによる現代的な演奏慣習にひきずられ、スカルラッティの本来の姿から離れていると批判した。しかしカークパトリック本人が校訂した曲は60曲だけであった。その後ケネス・ギルバートがウジェル社(フランス語版)より全鍵盤作品の校訂を発表した。
ジョルジョ・ペステッリは559曲まで真作と断じている。
エミリア・ファディーニ(イタリア語版)による、より忠実な版がリコルディ社によって出版されているが、1978年から1995年までかけて8巻(457曲)を出版したところで止まってしまった。その後マルコ・モイラーギを新たに編集者に加え、2016年に第9巻が発売され2021年に第10巻で完結し、残りの楽曲は補遺に当てられる予定である。モイラーギは、517番から546番にチェンバロのための練習曲集を充てており、異稿も同時に収録されている。
セレナータ
四季の口論(第2部消失)
オラトリオ
クリスマス・カンタータ
宗教作品
ミサ曲 ニ長調
ミサ曲 イ短調
4声のミサ曲 ト短調
スターバト・マーテル ハ短調(10声)
テ・デウム
われ喜びに満てり
カンタータ
A chi nacque infelice
Che si peni in amore
備考
1917年にバレエ・リュスによって上演されたバレエ『上機嫌な婦人たち』はカルロ・ゴルドーニの喜劇にもとづき、音楽はスカルラッティのソナタをヴィンチェンツォ・トンマジーニ(英語版)が編曲したものによっている。
関連項目
ドメニコ・スカルラッティの楽曲一覧
ドメニコ・スカルラッティのソナタ一覧
バルバラ・デ・ブラガンサ(マリーア・マグダレナ・バールバラ・ハビエル・レオノール・テレサ・アントニア・ホセファ・デ・ブラガンサ)
ラルフ・カークパトリック
スコット・ロス
スカルラッティ (小惑星)
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