マーラー:交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

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00:00 I. Langsam, schleppend - Immer sehr gemächlich
15:55 II. Kräftig bewegt, doch nicht zu schnell, Recht gemächlich
23:16 III. Feierlich und gemessen, ohne zu schleppen
33:39 IV. Stürmisch bewegt – Energisch

演奏者ページ DuPage Symphony Orchestra (orchestra)
Barbara Schubert (conductor)
公開者情報 DuPage, IL: DuPage Symphony Orchestra
著作権 Creative Commons Attribution-NonCommercial 3.0
備考 Performed 12 May 2012. From archive.org

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

交響曲第1番ニ長調 (ドイツ語: Symphonie Nr. 1 D-dur) は、グスタフ・マーラーが作曲した最初の交響曲。

マーラーの交響曲のなかでは、演奏時間が比較的短いこと、声楽を伴わないこと、曲想が若々しく親しみやすいことなどから、演奏機会や録音がもっとも多い。

1884年から1888年にかけて作曲され、マーラー自身は当初からその書簡などに記しているように交響曲として構想、作曲していたが[1]、初演時には「交響詩」として発表され、交響曲として演奏されるようになったのは1896年の改訂による。「巨人」という副題が知られるが、これは1893年「交響詩」の上演に際して付けられたものの、後にマーラー自身により削除されている。この標題は、マーラーの愛読書であったジャン・パウルの小説『巨人』(Titan)に由来する。この曲の作曲中に歌曲集『さすらう若者の歌』(1885年完成)が生み出されており、同歌曲集の第2曲と第4曲の旋律が交響曲の主題に直接用いられているなど、両者は精神的にも音楽的にも密接な関係がある。演奏時間約55分(繰り返しを含む)。

作曲の経緯
マーラーは1883年にオルミュッツの市立劇場指揮者からカッセル宮廷歌劇場の第2指揮者に転出し、翌1884年にこの曲のスケッチにとりかかった。その以前の1882年にもマーラーは交響曲を構想したことがあったが、これは破棄している。
カッセルへの赴任は自ら望んだものだったが、マーラーが演奏したいと思っていたワーグナーなどの演目は制限され、首席指揮者のヴィルヘルム・トライバーとも衝突するなど、不満を募らせた。1884年にマーラーは、ワーグナー作品を指揮して名声を馳せたハンス・フォン・ビューローに弟子入りを志願し、ビューローに当てた手紙に自分の現状の不満も綴った。ところがビューローは、弟子入りを認めないだけでなく、マーラーの手紙をトライバーに渡したため、両者の不和は決定的となった。また、マーラーはこのころソプラノ歌手ヨハンナ・リヒターに恋愛感情を抱いたものの、失恋に終わっており、1885年に完成した『さすらう若人の歌』には、当時のマーラーの心情が反映されている。
1885年8月にマーラーは、プラハのドイツ劇場第2指揮者となり、翌1886年8月にはアルトゥル・ニキシュのもとでライプツィヒ市立歌劇場の第2指揮者に就任した。ライプツィヒでは、ウェーバーの未完のオペラ『三人のピント』の補完依頼を受けて1887年にこれを完成。これが縁となって、翌1888年にはウェーバーの孫の夫人マリオン・ウェーバーと恋仲となる。また、このオペラの上演を機会にリヒャルト・シュトラウスと初めて出会う。詩歌集『子供の不思議な角笛』にも出会い、1888年から作曲を始める。 しかし、ここでもニキシュをはじめとした人間関係が次第に悪化、自身の健康状態も芳しくなく、5月にはライプツィヒを去り、ミュンヘンで手術を受ける。
1888年10月、マーラーはブダペスト王立歌劇場の音楽監督の座につき、ようやく第2指揮者の地位から脱することに成功した。ブダペストでは、『ラインの黄金』、『ワルキューレ』などのワーグナー作品をカットなしでハンガリー初演し、モーツァルト作品などの上演でも評価を高めた。1890年の『ドン・ジョヴァンニ』では、これを聴いたブラームスを感激させ、「理想的な『ドン・ジョヴァンニ』を聴きたければ、ブダペストに行くべき」とまで言わせている。
こうしたもとで、曲は、ライプツィヒを去る前の1888年3月に書き上げられ、同年ブダペストに移った翌月の11月にオーケストレーションが完成した。マーラーはこの年の6月には後の交響曲第2番となる『葬礼』にもすでに着手していた。
初演と稿について
第1稿
1889年11月20日にマーラー自身の指揮、ブダペスト・フィルハーモニー交響楽団によって初演。しかし成功しなかった。「ブダペスト稿」とも呼ばれるこの稿は、現在は失われている。

マーラー自身は作曲当初からこの曲を交響曲と呼んでいたが、初演に際しては「2部からなる交響詩」として発表した。全体は5楽章からなり、第1楽章から第3楽章までを第1部、第4楽章以下を第2部としていた。この時点では「巨人」や、1部、2部、各楽章への標題はない。

初期構想であった、2部構成あるいはスケルツォ楽章を中心とした対照的な5楽章配置は、のちのマーラーの交響曲第2番、第5番、第7番、第8番(楽章はないが2部構成による)、第10番でも見られ、マーラーの交響曲を特徴づける要素がその初期から現れていることは注目される。

第2稿
ブダペストでの初演の後、マーラーは第2楽章(花の章)、第3楽章(スケルツォ)、第5楽章(フィナーレ)に改訂を施した。1893年1月の段階では、「花の章」を削除する考えに至ったが、8月にはこれを撤回して5楽章構成として残し、10月29日ハンブルクで上演、翌1894年7月にもヴァイマルで再演した。管弦楽編成はコルネットがあってティンパニは一人でこの時点まで三管編成であった。

上演に際してマーラーは、全曲を「交響曲様式による音詩」とし、「巨人」(Titan)という標題を与えた。各部、各楽章にも以下のような副題が付された。これらの副題も、ジャン・パウルの小説から影響を受けていると考えられている。

第1部 青春の日々から、若さ、結実、苦悩のことなど

第1楽章 春、そして終わることなく
第2楽章 花の章
第3楽章 順風に帆を上げて

第2部 人間喜劇

第4楽章 座礁、カロ風の葬送行進曲
カロはフランスの銅版画家ジャック・カロのことで、猟師の死体を獣たちが担ぎ、踊りながら墓地に進むという画がもとになっている。E.T.A.ホフマンの作品『カロ風幻想曲集』にヒントを得たともいう。
第5楽章 地獄から天国へ
マーラーは自作を演奏するたびにスコアに修正を加えるのが常で、この第2稿もハンブルクとヴァイマルでの演奏の間に細かい修正が入れられていることから、それぞれ「ハンブルク稿」、「ヴァイマル稿」と厳密に区分される場合もある。

各楽章について、第3稿との主な違いは次のとおり。第1楽章の序奏部分で最初のファンファーレが、ホルンに出る(第3稿はクラリネット)、スケルツォ開始部のオスティナート・リズムにティンパニが加えられている(第3稿は低弦のみ)、葬送風楽章の主題は、チェロ・ソロとコントラバス・ソロで弱音器は無し(第3稿は弱音器を付けたコントラバス・ソロ)、フィナーレでは小節の扱いの変更(ただし聴感上は大きな変化はない)など。

第3稿
1896年3月、ベルリンでの演奏に当たって、マーラーは「花の章」を削除して全4楽章の「交響曲」とした。二部構成や各楽章に付けられていた標題もすべて取り払われた。楽器編成は四管に増強され、とくにホルンが4本から7本に増やされたのが特徴的である。

この前年、1895年にはベルリンで交響曲第2番の全楽章が初演された。「交響曲」というタイトルでは、1番より2番の方が早く初演されたことになる。

このベルリン稿に基づく楽譜は、1899年にヴァインベルガー社より「交響曲第1番」として出版された。その後、1906年にウニヴェルザール出版社より出版されたものでは、第1楽章の呈示部と第2楽章にリピートが付加された。その後もマーラーは演奏のたびに細かい修正を加え、最終的にそれらを取り入れたものが、エルヴィン・ラッツ校訂によって1967年に刊行されたマーラー協会の「全集版」(ウニヴェルザール出版社)であり、これが現在もっぱら演奏される。しかし、第3稿に限ってもそれまでにも出版された楽譜が複数あるため、実際の演奏では、指揮者のスコアとオーケストラのパート譜が必ずしも同一でないなど一部に混乱があり、第3稿の古い版を用いたと思われる録音も多く存在する。1992年にはカール・ハインツ・フュッスル監修の「新全集版」が出版された。旧全集版との比較では、第3楽章冒頭のコントラバス・ソロがユニゾンに変更されていることが大きな違いとして挙げられる。
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